書評『スローターハウス5』 カート・ヴォネガット・ジュニア
スローターハウス5 (ハヤカワ文庫SF ウ 4-3) (ハヤカワ文庫 SF 302)
- 作者: カート・ヴォネガット・ジュニア,和田誠,伊藤典夫
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1978/12/31
- メディア: 文庫
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起承転結も、感情の爆発も無い物語
普通、ドラマには起承転結があって、感情の爆発があって、結末があります。でも、この物語は、いつまでも、いつまでも、ぼんやりした不安に満たされているだけ。
全く、エンターテイメントとしては駄作もいいところで、大衆受けはしないと思う。
じゃあハヤカワ文庫らしく、キモいオタクが喜ぶようなSF的アイテムが出てくるかというと、そんな事はなくて。
そして、第二次世界大戦を扱っているけれど、強い反戦メッセージが込められているワケでもない。
物語に明確な目的を求める人が読むと、このようになる。
※ヴォネガットの家に押しかけてくるツンツンヒロイン感あるアマゾンレビュー。
だから、あらすじを書こうとすると、とても困ってしまう。
とりあえず、ハヤカワさんの書いたあらすじを引用してみる。
時の流れの呪縛から解き放たれたビリー・ピルグリムは、自分の生涯の未来と過去とを往来する、奇妙な時間旅行者になっていた。大富豪の娘と幸福な結婚生活を送り……異星人に誘拐されてトラルファマドール星の動物園に収容され……やがては第二次世界大戦でドイツ軍の捕虜となり、連合軍によるドレスデン無差別爆撃を受けるピリー。時間の迷路の果てに彼が見たものは何か? 著者自身の戦争体験をまじえた半自伝的長篇。
ちぐはぐで、これを読んでも読みたいとは全く思えない。でも実際、そういう物語だから困る。
僕自身も、ハヤカワさんが書いたあらすじ以上の面白い要約をするのは不可能に思う。
でも、一応、自分の中で色んな事を整理する意味も含めて、あらすじのような何かを書こうと思う。
あらすじ、或いは解説のような、感想文のようなもの
主人公・ビリー・ピルグリムは、ある日突然、時間旅行の力を手に入れた。まるでPTSDのフラッシュバックのように、突発的に、自分の人生のどこか(過去かもしれないし、未来かもしれない)を、追体験出来るのだ。
故に、この小説は、『パルプ・フィクション』だとか、『メメント』だとか、放送時のアニメ版『涼宮ハルヒの憂鬱』第1期だとか、所謂、「時間軸をバラバラにした物語」になっている。
では、メチャクチャ分かりにくいかというと、そうではなくて。ヴォネガットの巧みな構成によって、読者自らが時系列を整理して読み直さないと理解できない、といった事はない(そもそも起承転結に意味の無い物語なので理解する必要も薄いのだけれど)。
この時間旅行の能力を軸に、主人公ビリーの人生を断片的に見ていくのがこの物語の大体の流れである。
第二次世界大戦を取り上げているけれど、反戦的メッセージは無い。戦争体験も含めビリーの人生に起こった全てが冷めた文体で淡々と語られる。
作者のヴォネガット自身が実際に捕虜として体験したドレスデン爆撃(ドイツ版東京大空襲のような物で、一説には広島の原爆投下よりも死者が多かったとされる)の描写も、ギラギラと厚化粧をした多くの反戦物語とは違って、あっさり終わる。
起承転結が無く、感情の爆発が無く、結末も無い。この物語は、いつまでもいつまでも、ぼんやりした不安に満たされているだけ。
なぜこのような小説になってしまったかと言えば、主人公ビリー・ピルグリムがそういう一歩引いた視点で人生を見つめている、今風に言えば「やれやれ系」主人公だからだ。
彼をそんな人間にしてしまったのは、この物語に登場する宇宙人「トラルファマドール星人」の影響が大きい。作中で彼らは興味本位でビリーを誘拐し、ビリーと色々な話をして楽しむ。
彼らは「時間」という概念を視覚的に捉えることが出来る。よって、過去も現在も未来も、全ての時間がお見通し。
しかし、彼らは運命に干渉できない。未来が見える彼らに言わせれば、この宇宙はトラルファマドール星人の実験失敗による大爆発で滅びる事が決まっている。
では、実験をやめれば宇宙は滅びないじゃないか、と未来を変えられると信じて疑わない我々人類は思うのだが、どう逆立ちしても彼らに、そして我々人類に、その運命を変えることは出来ないらしい。そういうものだ。
故にトラルファマドール星人は自由意志という概念が理解できない。自由意志は運命に干渉できる、という思い込みの上に成立する概念だから。
この物語においては、未来は変えることの出来ない絶対の運命として描かれている。そして、ビリー自身、トラルファマドール星人的思想を受け入れている。
故にビリーは「やれやれ系」主人公なのだ。
そして、空から美少女が降ってきたり、或いはビームを出すような超能力に恵まれているわけでもない「やれやれ系」ビリーの物語はひどく退屈だ。あの、ドラマチックなはずのドレスデン爆撃でさえも。
そういう薄らぼんやりとした、名状し難い、人の一生を描写するのが本作の目的であると思う。
そういう薄らぼんやりした何かに興味のある人ならば、楽しく読めるだろうけれど、そうでない人には、これほどつまらない物語も無いと思う。
なので、みんなは読んじゃダメだぜ。
僕は自分とアニメキャラが話している構図を想像できない
最近、アニメキャラと話してますか?
痛いオタクの代名詞。ヤベー奴の代名詞。架空の人物とお喋り。
先日紹介した秋山瑞人の『猫の地球儀』のあとがきですら「作者とキャラの対談は痛い」と遠回しに言われているので、既に10年以上言われている、定番の痛要素という事になります。
でも、架空の人物、或いは自分と距離が遠い相手との会話をイメージして文章に起こすって難しくありませんか?
今回は自分と距離が遠い人物と話す小説を書いて、会話トレーニングにならないか検証してみようと思います。
試しに僕とキムタクで話してみよう
※キムタク・ご存知SMAPの目立つ奴。ギャツビーのCMに出た時のダンスが伊尻のMADによく出てくる。とろろが苦手らしい。マラソンの円谷選手と気が合わなそう。
僕「初めまして~キムタクさん!」
キムタク「ちょ待てよぉ。何お前初対面なのに呼び捨てにしてんだよぉ」
僕「え!?してないですよ!僕の中ではキムタクさんはキムタクさんなんで…」
キムタク「ちょ待てよぉ。何がキムタクさんだよオメー」
僕「すいません…じゃあ拓哉さんでいいですか?」
キムタク「ちょ待てよぉ。なんつった今?もう一回言ってみろ?」
僕「拓哉さんやめて…」
タクヤさん「お・じ・さ・ん!?だとぉ!?ふざけんじゃねーよお前お・兄・さ・ん・だ・ルルォ!?」
キムタク「ちょ待てよぉ。誰だオメー」
タクヤさん「皆さんご無沙汰しております。悶絶少年専属調教師のタクヤと申します」
キムタク「ちょ待てよぉ。誰だよ。説明しろ、キィ」
僕「この方は有名なセクシー男優の方ですね」
キムタク「ちょ待てよぉ。聞ィてねぇぞ。つまみ出せ」
キムタク直属の黒服「Yes,sir.」
タクヤさん「怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨…愛ぶっぱなして(辞世の句)」
(黒服に引きずられてサウナ室型の焼却炉に入っていくタクヤさん)
僕「なんとかなりましたね…」
キムタク「ちょ待てよぉ。興ざめだわ。俺帰る」
僕「そんなぁ~」
※タクヤさん・ご存知BLEACH作者になってしまった男(なってない)。自伝的小説『ウリで狂ったあと』シリーズなど積極的に執筆活動を行っている。その美しすぎる射精には3000円の価値があるらしい。スポーツジムに精液まみれで通っている。連休が取れるとバリ島にサーファー仲間とサーフィンをしに行くらしい。
反省会をしてみよう
難しかったけれど、一応書き終えることが出来たので、反省会をしてみようと思います。
良くない点1・相手から話題を振ってもらっている
自分は簡単な挨拶でお茶を濁しているのに、キムタクさんはすぐ「呼び捨てトーク」を振って会話を進めていきます。ここは僕が先制で話題を提供して会話をリードするべきでした。
でもキムタクさんに気の利いた話題を提供してる自分ってどうしても想像出来ないんですよね。この部分を自然に想像できるようになればきっと会話が上手くなると思います。
良くない点2・都合の良いハプニングに期待している
このままでは会話が途切れてしまう事が怖く、『タクヤさん』というご都合兵器を出してしまっています。現実の会話には都合の良いハプニングなど起こらないので自分から会話を作っていかなければなりません。
でも都合の良いハプニング無しに会話を円滑に進めている自分って想像出来ないんですよね。この部分を自然に想像できるようになればきっと会話が上手くなると思います。
反省点を見つけるには有効かもしれない
何も考えず、自然体で書いていけば自分が想像出来ないことは絶対に書けないので、普段の自分の会話思考回路のどこがダメなのか判断するには有効かもしれません。
でもこれだったら、実際の会話音声を録音して検討した方が早いですね。
よって作者とキャラクターの対談にはあんまり会話トレーニングとしての効果は無さそうです。
なので皆さんは作者とキャラの対談SSは書かないようにしましょう。
【お願い】本の帯に「泣ける」と書かないで。【嘆願】
僕は、帯に「泣ける」と書いてある本が嫌いだ。
帯を取っても「そういう」帯が付いていた事実を知っている者には、分かってしまう。
「はぁ、君、結構単純なんだねえ」
そう思われていそうで嫌だ。
僕は、聡明で、理知的で、かっこいい人間でなければならない。しかし、帯に「泣ける」と書いてあると、それが出来ない。
人の目なんて気にしなければいいんじゃないの、という。でも、そういう奴に限って無難な選択をしているものだ。もしくは、人に流されない、キテレツな自分自身を演じて悦に入っているに違いない。違いないのだ。
宇宙人だって、帯に「泣ける」と書かれた本を読んでいる地球人を見たら、きっと侵略を決意するに違いない。
「この星の人間は、きっとバカに違いない。楽に侵略出来るだろう」
だから僕は、聡明で、理知的で、かっこいい人間でなければならない。宇宙人が見ているからだ。地球を守るために、自分を良く見せるのだ。
自分を良く見せようとしている全ての人は、宇宙人から地球を守っているのだ。
あの、オタクだけど彼女がいるアイツも、DQNをボコしたアイツも、刀でクマを倒したアイツも、みんなそうだ。
地球を守る為に、やっているのだ。
だから、帯に「泣ける」と書かないで。
ウンコとカレーとクジラについて
クジラは「カレー味のウンコ」と同じ類の概念である
よくある「究極の選択」の1つに「カレー味のウンコとウンコ味のカレーならどちらを食べるか」という物があります。
食べられそう、食べられなさそう、という相反する性質を交換してさぁどっちという遊び。
クジラもまた魚みたいな見た目なのに、哺乳類に分類される生き物です。
ウンコ味のカレー風に言えば「魚味の哺乳類」といったところでしょうか。
見た目か中身か
人が物を定義するにあたって、その手段は大きく分けて2つあります。
1つは見た目。見たまんまの姿形からどこに分類するかを決める方法。
もう1つは中身。中をよく分析してみて初めて決定する事が出来る高度な分類方法。
この2つのうち、クジラを魚でなく哺乳類であると定義した科学という派閥は中身を重視する傾向が強いと言えるでしょう。
科学者はウンコ味のカレーを食べる
見た目よりも中身を重視する科学者という人達は、ウンコ味のカレーを食べます。
科学の恩恵にあずかっている私達一般人もまた、同じようにウンコ味のカレーを食べるのでしょう。
しかし、ウンコに限りなく近いカレーの事を、我々は本当にカレーと定義することが出来るのでしょうか。
クジラはやっぱり魚なんじゃないの
クジラを分解して調べる、という非常に面倒な作業をして初めて、クジラは哺乳類に分類されます。
しかし、それだけの面倒をやって色々調べてみたところで、クジラの見た目は明らかに魚のそれであるし、生活しているのも地上ではなく海なわけです。
ウンコ味のカレーもまた、成分を調べたり色々と科学的な調査をして、科学が「これはカレーだ!」と太鼓判を押しても、味も風味も限りなくウンコなわけで。
だとすれば、結局のところ「内面を信じるか?外面を信じるか?」という信仰の問題でしかありません。
「でも、カレー味のウンコは、食べたらウンコだからお腹を壊すけれど、ウンコ味のカレーならばお腹は壊さないだろう」
という人もいるでしょう。
しかしカレーの定義には「お腹を壊すか否か」という物は含まれていないのです。
例えば、腐らせてしまったカレーの事を、我々はウンコとは呼ばないでしょう?
ならば「カレー味のウンコ」は「食べたらお腹を壊してしまうカレー」と言い換えることも可能ではないでしょうか。
哺乳類のクジラが海で生活し、魚のような見た目でいるように、カレー味のウンコもまた、味も風味もカレーな究極のウンコなのだから。
【重大発表】ポッポのポテフラ、変わってる【恐怖】
仲夏のみぎり、皆様におかれましてはますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
さて、私、キィは、先日衝撃の真実に気づいてしまいました。
ポッポとは
こいつです。ヨーカドーの中心にある、こいつです。
専門店が増え続けるフードコート界にあって、未だファミレス的に色々なメニューを取り揃えるフードコート界の首領であります。
先日、私は『ポッポのポテフラ細いか太いか』問題について母と真剣に議論をしておりました。
僕「お太い!」
母「お細い!」
僕はケンタのポテトに近い太タイプのポテトだと主張したのですが、母はマックタイプの細ポテトだと主張したのです。それじゃフードコートに大体鎮座してるマックと差別化できねーだろ。
結局議論が平行線を辿った為、我々はヨーカドーに真実を確かめに行く事に…。
「山盛りポテトをご注文のA○×番のお客様~」
おばさんの声がフードコートに響き渡り、ついに真実は白日の下へ。
ポッポのポテフラが変わってる
な、なんじゃこりゃああああああああああああああああああああああ
まんまマックのポテフラじゃん…。入れ物も変わってるし…。
僕が想像してたのはこっち!
※この写真も中身は僕の想像してる奴じゃない。僕が想像してたのはこの発泡スチロールの容器にもっと太いケンタタイプのポテフラが入ってるやつ!
こんなのポッポのポテフラじゃないよう。
まあ、マックタイプはそれはそれでおいしいからいいけどさ…。
10年以上前に消えていたらしいケンタタイプ
ポッポのポテフラに関するブログ等を調べてみると、大体10年程前には既にケンタタイプの太いポテトフライを採用しているポッポは無くなってたみたいです。
ごめんなポッポ…ちゃんと食っときゃ良かったよ!
血液型占いにケチつけてる奴ヤバイ説
よう、おめーら。血液型占いやってるか?俺は毎日やってるぜ。
でもよう、そんな俺の血液ライフを邪魔する奴が……。
血液型占いアンチ
世に存在する陰謀のうち実に9割以上は事実無根の妄言である。
でもこいつらだけは本当に存在する。
――血液型占いアンチ――
彼らは血液型占いの撲滅を目論んでいる我々人類の宿敵である。
そんな彼らの生態を今日は解き明かしていこう。
占いに科学的根拠を持ち込む科学の狂信者
彼らは科学の狂信者である。
こちらが
「へぇ~。○○君ってO型なんだ~!じゃあ結構大ざっぱなの?ワラ」
と聞くと
「デュフッwwwwww血液型で性格なんか分かるわけないでござるよwwwwwwwwwそんなこと言ったら純血のブラジル人は全員大ざっぱござるwwwwwwwww」
などと。
きめーんだよクソオタクがよ。
俺が大ざっぱっつったら大ざっぱなんだよ。
純血のアラジルだかミソジルだか知らねーが大ざっぱなんだよ。
俺が右って言ったらてめーも右って言えよ。
んなこと言ったらてめーはタロットで引いたカードに科学的根拠を
本当に血液で性格なんか分かるの?
結論から言うと、わかります。
かの有名なギャング、ブローノ・ブチャラティは汗の味から相手の心を読み、交渉を有利に進めていました。
※公共のバスの中、初対面で15歳の汗を舐め取る20歳。当時Twitterがあったら撮影・拡散されてMAD素材確定である。(2001年頃の出来事)
ジョジョの奇妙な冒険(第5部) 黄金の風 文庫版 コミック 30-39巻セット (化粧ケース入り) (集英社文庫―コミック版)
- 作者: 荒木飛呂彦
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2009/04/08
- メディア: コミック
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汗を舐めて思考がわかるならば、血でもわかるはずです。
精液でもうんこでもしっこでも同様でしょう。
僕も自分の精液を啜った事がありますが、その時は自分の「ずるずるして気持ち悪い」という感情を読み取ることが出来ました。
うんことしっこは試したことはないですが、「カレー味のうんこ」「りんご味のしっこ」のような賞味しやすい物が誕生したら是非一度挑戦してみたいです。
書評 秋山瑞人・『猫の地球儀』
二冊でワンセットよ。
あらすじ
地球の周囲を回っている、「トルク」と呼ばれるコロニーらしき場所。既にトルク内の人類は滅び、そこでは人間並の知性を持つ猫達が生活していた。
猫達は「大集会」という宗教組織を結成し、トルクを統治していた。
大集会には悩みのタネがあった。地球への上陸を目指す科学者集団「スカイウォーカー」だ。
大集会の教えでは「死んだ猫の魂は流星となって地球へ落ちる」となっている。もし、スカイウォーカー達が地球上陸の為の研究成果を吹聴し、社会が混乱してはマズイ。
故に、大集会はスカイウォーカー達を異端者とし、粛清してきた。
37代目のスカイウォーカー・幽(かすか)は先代のスカイウォーカー達の研究成果を元に、ついに地球突入用のポッドを完成させようとしていた。
しかし、完成直前、取引相手のヤクザのミスで、アジトの場所が大集会にマークされてしまう。
幽は大集会の目を誤魔化すため、スパイラルダイブという格闘技に目を付けた。
スパイラルダイブとは、今、猫達の間で大人気の格闘技である。優勝者は大集会さえも震え上がる権力を手に入れる事が出来た。
幽はスパイラルダイブ最強の猫・焔(ほむら)に野良喧嘩を売り、勝利した。スカイウォーカーの科学技術の前ではスパイラルダイブ最強の猫も赤子同然である。
負けず嫌いの焔は必ずリベンジを申し込んでくる。そして、「自分の獲物である幽には手を出すな」と大集会を牽制してくれるに違いない。
幽の計画は成功した。しかし、焔はそれだけで終わるほど単純な相手ではなくて……。
猫版Falloutだったり、Kerbal Space Programだったり
※Fallout:ご存知核戦争後の荒廃した世界を生き抜くゲーム。ベセスダ・ソフトワークスが制作した3と4が特に有名。
※Kerbal Space Program:通称KSP。緑色の生命体(通称:緑君)の為に宇宙船を設計し、太陽系を制するゲーム。最近では緑君を非人道的なロケットに乗せ、燃やしたりする遊びが流行っている。
人間の痕跡が確かに残るトルクを猫達が歩き回っている描写がFallout的で素敵。幽の宇宙船作りも(僕にはそれが妥当な描写なのかわからないけれど)KSPみたいで楽しい。
秋山瑞人が学生時代に書いた小説のスピンオフと言うだけあって、「好きなもの全部乗せ丼」感がすごい。
終末世界と宇宙開発。というだけでも書けそうなのに、そこに格闘技要素とか、宗教と科学の関係性とか、それに伴うディストピア的要素とか、あらすじでは触れなかったけれどロボット要素とか、そもそも登場人物全員猫なところとか、とにかくモチーフ過多。
それでも1本の小説で、しかも電撃文庫がゴーサインを出す程度には平易な文章で形にしてしまうのだから秋山瑞人は恐ろしい。
ポストアポカリプスとか、ディストピアとか、宇宙とか、男の意地とかロマンとか、猫とか、そういうのに興味がある人は読んで損しないと思う。
児童文学と一般文芸の間にある物語、という意味で正しくラノベラノベしていて読んでいて気持ちがいい。やっぱりラノベはこうじゃないと(あなたがライトノベルと思うものがライトノベルです。ただし、他人の賛同を得られるとは限りません。)。
紙の本はもう絶版ぽいので紙が欲しい人は近くの本屋の売れ残りか古本を探そう。
ヤベー奴だな、って思われたいよぉ~、という
ヤベー奴だと思われたくないですか?
皆さん、ヤベー奴だと思われたくないですか?
僕は思われたいです。
もうこの発言が既にヤベー奴ですね。
みんな、ヤベー奴になりたい
とあるメンヘラのコミュニティでは、ブロンを沢山飲んだ奴ほど、偉いのだそうです。
とある障害者のコミュニティでは、より高い等級の手帳を持っている奴ほど、偉いのだそうです。
とある動画投稿者のコミュニティでは、無修正のAVをサイトに投稿し、消された奴ほど、偉いのだそうです。
全て伝聞なので、よくは知りませんが…。
ヤバい、というコミュニケーションツール
皆さんは、ARuFa、という人物をご存知だろうか?
大人気ブロガーで、曲も作れて、ケツにプロジェクション・マッピングをしたり出来るスーパー面白インターネット生命体である。
そんな彼が、自身が所属する株式会社バーグハンバーグバーグの社長、シモダ氏とのインタビューでこんな事を言っていた。
—まずはお二人の子どもの頃の話から伺いたいです。そもそもARuFaさんは何がきっかけでブロガーになったんですか?
(中略)
ARuFa:小学校低学年くらいまでは、恥ずかしがり屋さんで大人しい子どもでしたね。
シモダ:へぇ。……まぁ、そんな気はするかも。
ARuFa:クラスの人気者になりたかったけど、足も速くないしドッヂボールも弱いしで挫折してたんです。でもある日、『面白さ』でクラスナンバーワンになった友達がいて。「あ、そういう方面の人気者もいるのか」と思い、その日のうちにキャラの方向転換をし、砂場の砂をバクバク食べるパフォーマンスをして人気者になりました。その時のあだ名は「ヤバいマン」です。
クラス内でのキャラ付けに必死だったARuFa少年の涙ぐましいヤバさに感動してほしい。
クラスで人気者になるための方法は色々あるけれど、最も手軽なのは「ヤベー奴」になることだ。少なくとも、毎日毎日サッカーボールを蹴り続けるような努力はいらない。
ただ、屋上から飛び降りるような度胸があればいい。
それが明るいヤバさならば、コミュニティは君を拍手喝采で迎えるだろう。
それが暗いヤバさならば、コミュニティは君を畏怖し、ある種の信仰を捧げるだろう。
ヤバいことは正しくコミュニケーションツールである。
1人ぼっちにならない為の知恵である。
ヤバさ万歳!狂人万歳!
そろそろ、ヤバくなりたくなったでしょ?
難しそうな本といえば…『罪と罰』!
読んでいるだけで頭良さそうに見えるけれど、内容は誰も知らない本第一位
あらすじ
僕は天才法学部生のラスコリニコフだ。でも金が無くて大学を追い出されてしまった。僕のような才能ある若者が愚民共のせいで潰れるのは絶対におかしい。そう思った僕は性悪サラ金ババアのアリョーナをぶっ殺して金を手に入れてやったぜ。金だって性悪サラ金ババアの下で使われるよりも、僕のようなスマートな人間に使われた方がいいに決まっている!
だが僕は、現場を目撃した無関係のアリョーナの妹までも口封じの為に殺してしまった!
僕は完全犯罪を成し遂げたが、アリョーナの妹を殺してしまった罪悪感に苦しめられる…。
そんな折!ムカつく予審判事のポルフィーリが僕の所にやって来た!
「キラ!お前は今ロシアのサンクトペテルブルクにいる!」
「なんだと!」
「やっぱり人間って… 面白!!」
罪と罰は実質デスノ!
「社会の為になることなら殺人だってOKだぜ」というラスコリニコフの思想は夜神月そのもの!(功利主義的って言うんだって!明日学校で自慢しよう!)ポルフィーリィ登場以降の頭脳バトルシーンも月とLの対決を彷彿とさせるね!
まあラスコリニコフは月と違って、予定外だったアリョーナ妹殺害の罪悪感に苛まれてメンヘラが酷くなっていくんだけれども。
そういう長ったらしい暗ーい心情描写が重いから、エンタメ的に読めるかどうかはその人の体力次第。だから手放しでは勧めないけれどそこまで難しい本ではない!よ!
登場人物のアダ名多すぎ!
ロシア文学は登場人物の呼び方がめっちゃ多い!
これがちょっとネックだから読む時は人物表をコピーして栞にしながら読もう!
登場人物の呼び名の例(詳しくは上の相関図を見ろ!)
主人公 ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコリニコフ…ラスコリニコフ、ロージャ
ヒロイン ソーフィヤ・セミョーノヴナ・マルメラードヴァ…ソーニャ、ソーネチカ
主人公の妹 アウドーチヤ・ロマーノヴナ・ラスコリニコヴァ…ドゥーニャ、ドゥーネチカ
謎のホモ ドコロフ・トオノスキー・ヤジューコフ…淫夢のやべーやつ、真夏のおっさん、真実のおっさん、夏夜のおっさん、ジュッセンパイヤー、ヤジュセン、ジュウヤーのパイセン、マナインのジュセ、4章の眠らせてくる奴、ぱいぱいやじゅ美、タドちゃん・コロちゃん、フェラうま男、ドデカ・マクラ、関本賢太郎、夏の字、ネムラス4世、じゅうちぇる、ヤ・ジウ、聖イキスギウス、アォン・サーッ・ブー・チー、ヤーパン、THE BEAST
ロシア人は本名とアダ名が違いすぎて読みにくすぎ!アダ名表の書いてある栞を標準装備してほしいところ。
教室で見せびらかしながら読もう!
ブックカバーなんて言語道断!こんなカッコイイ本を読んでいる自分を演出しないなんてもったいない!
友達や先生に見せびらかして自慢しちゃおう!
貧乏大学生の皆さんへ
今奨学金を返済できないなら絶対に読まないで下さい。主人公がリアルすぎて、ほぼ100%その場で強盗殺人してしまいます。
DEATH NOTE デスノート(1) (ジャンプ・コミックス)
- 作者: 大場つぐみ,小畑健
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2004/04/02
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Twitterやめたらめっちゃ時間余る
勉強しろ!!!!!!!!!!!!!!!
めっちゃ時間が余る
まじで余る。やばい。
このツイート以来実に2年半近く毎日毎日闇のインターネットモンスターとして活動してきた僕にとってTwitterはもはや人生の一部であり、宇宙なのだ。
それをや……め……る……???
もぅマヂ無理。
今DSの電源ぃれた。
マリカしょ・・・
ブォォォォォォォォォンwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwイイィィィイイヤッヒィィィィイイイwwwwwwwwwwwwwwwwwww
TLを眺めるのは、ラジオやテレビをずっと点けてる感覚に近い
真剣に集中して見ているならともかく、基本的に無作為に情報を受け取る作業というのは楽だし、疲れない。
僕の場合、1000アカウント近くフォローしているから、画面を弾けば誰かしらの発信を受信できる。
故に深夜帯や早朝は「やっぱTL誰もいねぇw」的な呟きが連続で流れてくる。そういう時間ですら僕は「TLに誰もいない」というエンターテイメントを親しい誰かと共有出来てしまう。永遠に終わらない放課後の駄弁り。
人が絶えない人気掲示板に常駐している人も同じような感じだと思う。
こうなってしまえばもうあとはハマっていくだけで、空いた時間は常にTwitterを見てしまう。読みたい本や観たい映画があってもいつの間にやらTwitterだけで1日が終わってしまう。せっかくニートしてるのにこれはもったいなさすぎやしないか。(そもそも受験勉強しなきゃいけないんだからブログすら書いている場合ではない)
8時以降は全ての情報機器の電源を落とし、10時就寝・6時起床をしてみた
いやーめっちゃ調子いいですわ。最近は起きるだけじゃなくて朝のウォーキングなんかしちゃったりしてね!THE・陽キャですよ。てか陽キャも6時起きのウォーキングなんてやってないから僕>陽キャですよ。今の僕はベテルギウスキャぐらいありますね。
※『この辺にスズ』みたいな感じで小さくSunって書いてるから探してみよう。てか昔読んだ本だとアンタレスよりベテルギウスのが大きかった記憶があるんですが、研究で変わったんでしょうか。
※萩村スズ。かわいい。この辺にスズ。
普通の事を普通にこなすのが一番良い
でも死ぬほど難しい。小学生の頃、親の監視下だと1日1時間しか出来ないゲームをもっとやるために、毎朝4時に起きてコッソリやってた。けれど、大人の僕らにそんなモチベは無い。
ほんの少しの科学的根拠に基づく知識と、精一杯の根性論でしか早寝早起きは成り立たない。(でも就寝前2時間は電子機器触らないっていうのはかなり効果ある気がします)
そもそも、学校や仕事の事情で、10時寝6時起きなんてニートにしか出来ないんじゃないのか…?
とんでもないリソースを要求される早寝早起きだけど、その効果は絶大
時間的リソース、精神的体力的リソース、ありとあらゆるコストを支払える人間にしか早寝早起きは出来ない。
でもその効果は絶大で、今までずっと午後になると眠気があったけれど、ここ数週間はそれが全く無い!頭も冴え渡って勉強も上手くいっている気がするしブログの文章もスラスラ書けてしまう。
皮肉屋の僕がこんなTVショッピングじみた胡散臭い煽り文句を恥じること無く書けてしまう程度には早寝早起きはやばい。
枕元にスマホを置かないことから始めてみよう
「寝る前にTLのみんなに挨拶して…あ!あの人なんか面白いコピペ見つけてる!あ!めっちゃシコい絵!あ!またあの人」
まず!こういう生活をやめよう!勿論、これを本当の本当に楽しみにしているなら続けたほうが良い。でも中には「やめたいけど、気がついたら徹夜している」という人も多いでしょ!やめよ!な!な!な!
※そういう訳だからTwitterのイン率は下がってます。
僕は基本的に自己コントロール力が弱いので、また夜更かし生活になるのでは、と不安でTwitterを開けません。
一応1日何回かはログインして反応等拝見させていただいております。
いつも応援ありがとうございますm(_ _)m