キィの日記

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『文豪ストレイドッグス DEAD APPLE』感想 ―自ずから選び取る運命のために―

選ばれたことに喜びを感じた瞬間から、選んだ相手に自分の運命を握られている、という絶対的な原理があるんです。だから、選ばれたらそれを引き受けるけれども、それは選ばれたから無条件に引き受けるんじゃなくて、選ばれたあと引き受けるかどうかという判断を、自分が選択してるんですよ。それは当たり前のことなんだけど、そこを意識してるかしてないかっていうのは、結構大きな差じゃないかな、と思ったりしているんです。
榎戸洋司(comic新現実vol.3『榎戸洋司インタビュー 「大人」になること、「世界」と向き合うこと』より)

 

 アニメ版『文豪ストレイドッグス』1期2期は、異能力に「選ばれ」、その異能力によって捨てられた少年・中島敦が、太宰治によって「選ばれ」、武装探偵社の一員に「選ばれ」……無数の「選ばれ」の果てに鏡花共々「ただいま」を言えるようになるまでの物語だった。
 1期2期の敦は「選ばれる」側の人間で、「選ばれる」ことの怖さを知らず、無垢に受け入れている。芥川が太宰に「選ばれ」たことによって苦悩しているのとは対照的に。鏡花が敦に「選ばれ」てしまったが故に、光の怖さを知ってしまったのとは対照的に。中島敦という少年は太宰治に選ばれたことを無垢に受け入れ、自分が「選ばれるに足る人間なのか?」に悩むことこそあれ、選ばれた事実それ自体に苦悩することはしない。なぜならば、太宰の事を「自分を選んでくれた良い人間」だと何の疑いもなく思っている故に、「選ばれる」ということに対して怖いもの知らずだからだ。

敦「太宰さんは、この街を守ろうとしたんですよね」
太宰「私がそんなことをする良い人間に見えるかい?」
敦「……見えますけど」
(劇場版『文豪ストレイドッグス DEAD APPLE』)

 芥川を始めとした太宰を知る人物の中で、「純粋な良い人」と太宰を解釈している人間は誰ひとりとしていない。敦だけなのだ。そんな怖いもの知らずの敦だからこそ、芥川に対してこんなセリフを投げることも出来る。

「人は誰かに『生きていていいよ』と言われなくちゃ生きていけないんだ!そんな簡単なことがどうして判らないんだ!」
中島敦(アニメ版『文豪ストレイドッグス』10話「羅生門と虎」より)

『DEAD APPLE』以前の敦にとって生きることは「選ばれる」こと。即ち榎戸的に言えば「自分を選んだ相手に自分の運命を握られている」状態が敦にとっての「生きる」ということなのだ。
 そして選ばれることの怖さを知っている芥川は、その無垢な敦の言葉に、こう答える。

「本気で思うのか。人虎。許可を出す「誰か」が居ると。他者の為、血を吐いて闘えば、誰かが『生きる価値あり』と書かれた判を捺してくれると思ったか?」

芥川龍之介(アニメ版『文豪ストレイドッグス』第23話「羅生門と虎と最後の大君」より)

 結局、2期までの敦は芥川の投げかける「自分を選んだ相手に自分の運命を握られている」怖さに対して明確な解答を出すことが出来なかった。そんな敦が「自分の運命を自分で選び取る」側に立つ為の物語が、『DEAD APPLE』だと思う。

選ばれたわけじゃない僕ら

「君は選ばれたわけじゃない。これから君が選ばなきゃならないし、選ぶ時には覚悟がいるよ。」
黒船バラード(アニメ版『忘却の旋律』第1話「メロスの戦士」より)

  

 澁澤によって異能力を失った敦は、初めて自身の内に住んでいた虎と真正面から戦わざるを得なくなる。自身の内から解き放たれ、相対化された虎を見た敦は自身が「生きたい」と思うことは決して太宰に「選ばれた」から、ただそれだけではないことを思い出す。自分の力でこじ開けた扉の先にあった澁澤と電気椅子の記憶は、敦が本来的に持っていたプリミティブな「生きてやる」の意志そのものだ。

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 自らの手で力いっぱいに扉を引く敦

「だって僕は生きたかった! いつだって少年は生きるために虎の爪を立てるんだ!」

中島敦(劇場版『文豪ストレイドッグス DEAD APPLE』より)

 

 映画の前半、しつこいぐらいに強調されていた敦の太宰に対する依存は、1期2期の敦の要約だ。敦は太宰と出会って以来、常に「太宰さんならなんとかしてくれる」と思っていて、自分を選んだ太宰に自分の運命を握らせていた。けれども、太宰と出会う前の、或いは出会って間もない敦を紐解いてみれば、彼は最初から自身の生命を自分自身で掴み取ろうという意志を持っていた。生きるための爪を世界に立て、もがいていたではないか。

「もはや生きたければ、盗むか、奪うしかない……。(中略)野垂れ死にだと?僕は死なないぞ……絶対に……なんとしても生き延びてやる!よし!この次に通りかかった奴を襲って、そいつから金品を奪ってやる!」

中島敦(アニメ版『文豪ストレイドッグス』第1話「人生万事塞翁が虎」より)

 

敦「いくら憎いからって、人質とか爆弾とかよくないよ。生きていればきっと良いことがある」
谷崎「良いことって?」
敦「うっ」
谷崎「だから良いことって何?」
敦「ちゃ……茶漬けが食える!茶漬けが腹いっぱい食える!天井がある所で寝られる!寝て起きたら朝が来る!当たり前のように朝が来る!……でも……爆発したら、君にも僕にも朝は来ない。なぜなら死んじゃうから」

(アニメ版『文豪ストレイドッグス』第2話「或る爆弾」)

 
 けれども、この「生きてやる」は「あなたはここにいてもいい」が欠けた不完全なもので、自分で自分の運命を選んでいるように見えてその実、自分を取り巻く世界に運命を強制的に選ばされているだけにすぎない。これは芥川によって強制的に殺し屋を選ばされていた鏡花と同様だ。だからこそ、敦は太宰に選ばれた後で「『生きていていいよ』と言われなくちゃ生きていけないんだ!」と叫ぶ。
 太宰の『生きていていいよ』によって初めて敦は運命の選択権を得、虎と対峙する事が出来る。
 そして『DEAD APPLE』の最終局面。敦は、かつてあれほどまでに憎み、拒絶してきた虎の力を自ずから選び取り、掴み取り、あまつさえこう叫んでみせた。

「それは『異能』じゃない……僕自身だ!」
中島敦(劇場版『文豪ストレイドッグス DEAD APPLE』)

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ずっと振り回されてきた「欲しくもない運命」「たまたま選ばれただけの運命」に、初めて自分の意志で力強く手を伸ばし、握りこぶしでぎゅっと掴み取る。これを生命と呼ばずして何と呼ぶのか。


 それまでずっと否定してきた運命。虎の力。太宰に拾われて以降の敦は、福沢の能力によって虎を任意でコントロールすることが出来るようになっている。だから敦は虎に対して見て見ぬふり、そのままなあなあで付き合っていくことも出来た。でも敦はそうしなかった。それこそが、これから敦のように運命を選び取らねばならぬ少年少女に対する福音であり、選び取った後の世界を生きる大人達=太宰へのエールではなかろうか。

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ずっと闇の中、迷い続け、つい最近やっと運命を選び取り、その後の世界を生きる者。朝日に対して優しくはにかむ事が出来るのは、敦達の生命を目の当たりにしたからではないだろうか。

 

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 自ずから運命を選び取った少年少女達は、「いってきます」を告げたその後で『武装探偵社』のドアを背に旅立っていく。
 

走れ。その厳しさを知りながら、なお本当の自由を求めるものよ。
お前が辿り着くべきその彼方まで。
世界を貫く、矢のように。

忘却の旋律(アニメ版『忘却の旋律』第24話「それでも旅立つ君の朝」より)