キィの日記

趣味のお話とか

「恵まれた」夢見りあむを呪ったその先で君を待つもの ーエセメンヘラは誰なのかー

『私の「夢見りあむが許せない」』https://anond.hatelabo.jp/20190422115235 

 この文章は、はてな匿名ダイアリーに投稿された『私の「夢見りあむが許せない」』に捧げるものだ。この記事自体が『夢見りあむが許せない(https://anond.hatelabo.jp/20190417172059)』という投稿のフォロワーであるため、この記事はフォロワーのフォロワーということになる。オタク、夢見りあむについてめちゃくちゃ語るやん。それだけ彼女のデザインが成功しているという事なのだろう。
 さて、件の『私の「夢見りあむが許せない」』では母子家庭で貧乏な「私」が、恵まれたであろう家庭で育った「夢見りあむ」に対する恨み節を語っている。
「私」は「夢見りあむ」が「海外で仕事をしている両親と、渡米して画家をしている姉を持つ」ことを「実家が太い」と定義し、自身の境遇と比較して、「夢見りあむは自分よりも恵まれているのに病んでいるのがムカつく」という旨を語っている。

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※夢見りあむ。その設定が意図するところを忠実に達成し、一部のオタクからやいのやいの言われてサンドバッグにされている。

かわいそうバトル

 病棟の患者の中には奇妙な感情がある。
 それは、症状が重く手術回数が多いほうが「偉い」というものだ。事故もエキセントリックなほうが賞賛を浴びて、死にそうになったり自殺を試みたりしたことがあればさらに「地位」が高い。
太田哲也『クラッシュ 絶望を希望に変える瞬間』より)

「よりかわいそうな人間が強い」、というゲームはどこにいっても存在する。上記の引用はレース運営の不手際によって大事故に遭い、全身に大火傷を負ったレーシングドライバーの手記から抜粋したものだ。こんな話はインターネットの”そういう界隈”を覗き見ることでも、容易に見つける事が出来る。障害者手帳の等級で「地位」が決定するような場所が、この世界にはある。
 そして、より強い「かわいそう」を求める戦いは、次のような新たな苦しみをも生み出してしまう。

鬱でもないエセメンヘラの人間です。

はじめまして。
22歳の女です。
大学を死ぬ気で卒業したものの、一日の大半がベッドの毎日を送っています。
ベッドから起き上がりはしても、しんどくて横になってしまいます。頭も回らず会話が出来ません。少しの音で頭に響き、痛いです。前に好きだった映画なども頭に入ってきません。二年前から徐々にこうなりました。
こんな感じでいまは自室の床で横になった状態から文章を打っています。
(中略)
大したことないのに大袈裟に騒いで恥でしかないですね。
みんな同じように苦しんでるし、私以上に辛い思いしてる人はたくさんいる。
早く普通の状態に戻りたいんですが、本当は普通なのに病気みたいに動かないエセメンヘラのわたしはどうしたらいいんでしょうか。
働きたいです。働いて、前みたいに趣味を楽しみたいです。
こんなエセメンヘラですが、メンヘラ認定されたいわけではなく、普通になりたいです。

(メンヘラ.jpお悩み相談より)https://menhera.jp/qa/537

 かわいそうバトル。個人個人に特有の苦しみは決闘場に引きずり出され、戦わされる。かわいそうバトルに負けた苦しみは「私以上に辛い思いしてる人はたくさんいる」という言葉を墓標に、他の「大したことない」苦しみと共に共同墓地へ埋葬される。もう二度と日の目を見ることは無い。
 かわいそうバトルで一番強いのは誰か?先に挙げた太田哲也のことだろうか?毎日ワイドショーで品評会にかけられる「今日のかわいそうな人」だろうか?どこか異国の地で、骨と皮だけになって泣いている子供のことだろうか?
 かわいそうバトルの果ての果て、どうやってこの世で最も不幸な人間を決めたら、僕達は気が済むのだろう。

 

 この怨嗟の連鎖の存在を自覚していても、かわいそうバトルからは降りがたい。
 そんな戦いからは降りてしまえ、と思ってみたところで、そう簡単に降りられるものではない。出来ないから、こうして皆あーでもこーでもないとずっとぐるぐるしているのだ。

 件の夢見りあむに食ってかからずにはいられなかったあの人も、かわいそうバトルの決闘場に立ち、刺されたことがあるはずだ。それなりにこの世界で年数を生きていれば、誰だってそうだろう。皆が皆かわいそうバトルのバツの悪さを知っていながら、多くの人間が出口に辿り着くことが出来ない。
 だから僕は、ただ祈ることにした。これまで埋葬されてきた全ての苦しみのために。これから埋葬される全ての苦しみのために。今この瞬間も、「かわいそうバトル」のトロフィーに手を伸ばす、全ての苦しみのために。
 祈ったところで、君の苦しみも僕の苦しみもどうにもならない。そして何よりも、この祈りの後で、きっといつか僕自身さえも誰かの気持ちを無かった事にしてしまうだろう。
 だから、君は自分の苦しみを、想いを、僕や君自身を含む全てのことから守り抜いていかなくてはならない。

 こうして無茶な「しなくてはならない」を、あくまで祈りや祝福の体で言葉にするしかない僕のことは、どうか許さないで。