77 クジラは沖へ帰るのか
君が苦しんでいる時、君の隣にあるべきは僕のはずだった。
それが、なぜだ?
いつ僕は、君の大切なものを、壊してしまったのだ?
僕は目が悪いんだ。いつか太陽を見ようとして、燃やしてしまったんだ。
僕が走り回って壊してしまったもののうち、一体どれが君の大切なものだったのだろうか。
僕は破片を1つ1つ観察して、君のことを思い出しながら観察して、でも目が悪いから、やっぱりよく分からない。
僕がそれを壊した時、君は何も言わなかった。
だから僕には、一体いつ、どこでそれが壊れてしまったのかも分からない。
或いは、100個あるうちの99個を、既に僕は壊し尽くしていて、君が屋敷の門を閉じてしまったあの日、僕はついに100個目を壊してしまったのだろうか。
どうして何も言ってくれなかった?
僕は目が悪いと、知らなかったのか?
今でも、君の屋敷の門をずっと叩き続けたくなる衝動に駆られる夜がある。
叩き続ければ壊れるかもしれぬと。
100個壊してしまったなら、101個目を壊しても大きな違いはあるまい。
だがこの堅牢な門は、僕の拳をずたずたにしてしまうだろう。
ならば、どうして僕を門の中へ通したりしたのだ?
門の中は、壊れやすいものに満ちていたというのに。
ずっと閉ざしていればよかったんだ。
一度中を見てしまったら、誰だって門の中に焦がれてしまうだろうに。
僕は今まで時々、君の屋敷の門の前で、思い巡らせている。
君が門の中で、幸せにしているだろうか。
でも、時々門の中から、呻き声がする。
僕は聞き逃すまいと、強く強く、門に耳を押し当てる。
でも聞こえてくるのは、呻き声だけだ。
これは、多分、怨嗟の呻き声だ。
世界を恨む、君の呻き声だ。
僕はとても嫌な気持ちになって、門の前でへたりこむ。
君が教えてくれた物語を読むことにする。
君が教えてくれたクジラの物語だ。
陸へ打ち上げられたクジラが、再び沖へ出ていく物語だ。
君もいつか、あのクジラのように、あるべき場所へ辿り着くことを、願う。
この門から聞こえる呻き声が、精算されることを、願う。
君が沖へ出ていった時、この門からは何も聞こえなくなるのだろうか。
この門から何も聞こえなくなった時、君が沖へ出たのか、或いは、打ち上げられたまま陸で死んでしまったのか、僕には全く知ることが出来ない。
だが、同じことだ。
この門から、怨嗟の呻きが止むことを、僕は願う。
どうか僕の追いつけないどこかで、幸せにやっていてください。
僕はこれからもずっと、時々思い出したように、この門の前に立ってしまうだろうから。