キィの日記

趣味のお話とか

73 聖なる盾、拾ったエロ本、ラベル

 金曜日はシャワーをしないで眠った。早朝のバイトから帰った後、大学をサボってハースストーンの酒場の喧嘩をひたすらやっていた。いつの間にか夜になっていた。僕は喧嘩をクリアする事が出来ないでいた。聖なる盾を貼りまくる敵がどうしても倒せないのだ。

 12時を回ったところで、頭にきたのでパソコンを閉じた。ゲームを辞めると、途端に酷く部屋が冷え込んでいることに気がついた。どうして今まで気づかなかったのだろう。急に体中が不快を訴えてきた。僕は布団に潜った。とても気怠く、シャワーを浴びる気になれなかった。

 歯を磨いていないことを思い出した。僕にとって、シャワーを浴びずに寝ることは百歩譲って良しとしても、歯を磨かずに寝ることは酷く恐ろしく、許せないことだ。扉で仕切られた先にあるバスルーム兼キッチンは、僕の部屋以上に冷え込んでいる。それを知っていても尚、僕はキッチンへ行き歯を磨かなくてならなかった。

 歯を磨いてから、寝た。

 

 土曜日の朝。8時半。勝手に目が覚める。二度寝する気にもなれないので、スマホでネットサーフィンをする。YouTubeを開くと、違法にアップロードされていた旧ハンターハンターのアニメがおすすめに上がっていたので、誘惑に負けて見る。拾ったエロ本を見つけた奴はヒーローだった、みたいな話が未だ美談として通るのに、アニメを違法視聴するのは絶望的にダサい行いみたいになってて不思議だ。僕はダサいやつだと思われたくないので、こういうダサいことは誰も見てないようなとこで書く。例えば、こことか。あーでも、この一言のためにバズったりするのだろうか。困るなあ、それは。取り敢えず、『拾ったエロ本』文脈をダサいこととして喧伝するところから、始めなくてはいけないよね。違法アップロードのアレコレは。(こういう「倫理問題にちゃんと関心ありますヨ」というアピールをしとく僕の小賢しさよ)

 違法にアップロードされたアニメには英語とかスペイン語とか、よくわからない字幕がついてる。僕が見たハンターハンターには英語の字幕がついていた。英語は多少読めるから、「ここはこうやって訳すんだ」なんて楽しみ方が出来るから嬉しい。色んな言葉を読めるようになったら楽しいだろうな、って思う。言語の習得って死ぬほど積み重ねだから僕は大嫌いだけど。

 

 そんなこんなで時計は15時を回り、なんとなく絶望的な気分になる。まだ布団からでていないなァ。違法アップロードでアニメ見ちゃったなァ。中途半端な道徳心があると苦労する。いっそ完全な卑劣漢になってしまえばいいのか。でも人間はそういう極端な存在になれない事を僕は知っている。

 正義でも悪でもないし、男でも女でもないし、嘘でも本当でもないし。人間の営みはそんなことばっかり。でも難儀な事に、人はハッキリした記号が無いと不安になってしまう生き物なので、無理矢理ラベルを貼ろうとしてる。よく、自己肯定が低い人が「自分が発達障害じゃなかったら、ただの怠け者になってしまうから病院に行くのが怖い」という話をする。「いや、それはまだ現代医学ではラベル貼り出来てない病気かもしんないよ」って、僕は思うのだけれど。多分、ラベルが無いと自分が自分に言い訳できないし、他人も病名というラベルが無いから「怠け者」のラベルをその人に貼ろうとするんだろうな、って思う。「別にいーじゃん。君が今苦しいのは事実なんだし」って言ってあげたい。

 ラベルが完全に消滅した世界も、それはそれで困るんだけどさ。福祉をどう分配したらいいのか分かんないし。国民全員を障害者料金とかでサポートはしてあげられないだろう。じゃあ資源が無限にあったらどうだろう。ラベルが無くても生きていけるのかな。いやでも本質的に人間は名前を付けたがる生き物だから、やっぱりラベルが無いと生きていけないのかな。

最近そういう事を、なんとなく考えてる。

72 入院したい

 僕が小学生の頃の話だ。僕の父が網膜剥離で一月だか、二月だか入院したことがある。典型的な仕事人間にとっては、長期間仕事から離れるのは人生で初めての事だったに違いない。

 その間、父はひたすら小学生向けの伝記マンガをひたすら読んでいた。母が僕に買い与えたもので、僕も当時よく読んでいた。本田宗一郎サン・テグジュペリベートーヴェン……古今東西の偉人たちのマンガが、20冊ほど我が家にはあった。

 父の書斎には、社会部の新聞記者という職業柄、ノンフィクションの、それも事件に関する本ばかりが並んでいて、偉人の伝記なんて物はそこには無い。彼にとって興味の対象は、専ら現在進行系の日本の社会問題であって、大昔の事や、物語的なものは、あまり勘定に入っていない書斎だった。

 そんな父が、偉人の物語に心動かしている様を、僕は見舞いの度に見かけた。本を求めて父の書斎を隅から隅まで荒らし、彼の価値観を大体把握していた僕にとって、それは異様な光景だった。

「これは本当に面白いな。お前も読んだか」

 などと話しかけてくるので、「もう全部読んだよ」と返してやる。「それは、すごいなあ」と返ってくる。この時僕は、人間が俗世から離れると、時として何か実りある変化を持たらすらしいという事を学んだのだ。

 

 尾崎放哉は須磨寺で作詞の才能に磨きをかけたのであるし、永山則夫は獄中で『無知の涙』を書いたのだ。やはり俗世から距離を置き、思索にふけるということが、人間に何らかの化学反応を起こすことは間違いない。

 俗世間に生きている限り、何かを大量に読み、大量にインプットするという作業は不可能ではなかろうか。

 あの嬉しそうな父の顔を思い出すと、そんな絶望がよぎり、僕は入院したくてたまらなくなる。

 

本田宗一郎―世界一速い車をつくった男 (小学館版学習まんが人物館)

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尾崎放哉選句集

尾崎放哉選句集

 

 

無知の涙 (河出文庫―BUNGEI Collection)

無知の涙 (河出文庫―BUNGEI Collection)

 

71 カラマーゾフ、スラムダンク、カードキャプターさくら、まどか☆マギカ

 かったるいので大学は休みにした。というのも最近僕は大学で勉強していることよりも別のことに興味が向いてしまって、まるで手につかないのだ。

 それはサークルで書いているシナリオのこともそうなのだけれど、それと同じくらい「なぜキリストは荒野の誘惑において奇蹟を否定したのに、色々な場面で奇蹟を披露しているのか」という問題である。この矛盾に対して『カラマーゾフの兄弟』が挑戦しているらしいので読む。

 

 学校は面倒だがバイトは出る。6時から9時までビルの清掃。毎日同じことの繰り返しだから、仕事中は思索に使えて良い。天職かもしれない。

 今日は専ら関係性について考えていた。僕は関係性のオタクだからだ。CCさくら李小狼を介した木之本桜大道寺知世の関係性は尊いとか、ガングレイヴのブランドン・ヒートとハリー・マクドゥエルはなんであんなことになってしまったんだとか、ジョナサンとディオはなんであんなことになってしまったんだとか、相葉昴治と尾瀬イクミはなんであんなことになってしまったんだとか、そういうことを考えていた。

 そうして関係性についてあれこれ練っているうちに、僕の中にある関係性が強く輝いた。

 それはスラムダンクのゴリ、木暮、三井の関係性である。

 僕は久しくスラムダンクを読んでいないから、おぼろげな記憶を手繰り寄せて考えていた。ゴリが孤立したのはいつだろう。三井が抜けてからだろうな。三井がいたら、きっと真面目にバスケをするゴリの味方になってくれただろうし。でも三井はいない。どこかへ消えてしまった。そうして互いに孤立していくゴリと三井を、木暮は一部始終全部見ていたんだよな。だからこそ「夢見させるようなことを言うな!」なんだよな。

 二項関係も良いが、このような三項関係も非常に良い。このケースでは三人が平等に関わっているが、同じ三項関係であっても、CCさくら李小狼木之本桜大道寺知世の関係はまた違う。

 まず、木之本桜大道寺知世という友人関係が存在し、そこに李小狼木之本桜と恋愛関係を構築することによって木之本桜李小狼大道寺知世でサンドするのである。つまり、李小狼大道寺知世の間には強い関係性は築かれない。そしてこの三項関係の最大の特徴は、この三項関係は大道寺知世の立場以外では絶対に観測することが出来ない関係性なのだ。李小狼木之本桜の関係を理解した上で、一方的な恋愛関係の眼差しを大道寺知世木之本桜に対して向けているのである。しかも李小狼木之本桜の二人は大道寺知世の気持ちを知らない。だからこの三項関係を観察できるのは大道寺知世ただ一人なのである……。

 このような事をバイトの間中ずっと考えていた。

 

 バイトが終わってTwitterを見ると「虚淵玄を紋切り型に鬱と呼ぶな」という趣旨の投稿があったので大いに賛成しヒートアップ。悪いキモ・オタクを発現させ暴れる。

 虚淵玄は受難と復活までちゃんと描写するライターだと個人的に思っているので、それを悲劇と称されるのであれば、「あなたは復活を悲劇と捉えるんですね」としか言えない。価値観の相違である。

 尤も、僕は虚淵玄について、fate/zeroまどマギとサンダーボルトファンタジーしか知らないので、あまり大きな事は言えないのだが。僕が物申したいのは虚淵云々よりもむしろ、「受難と復活の物語を語るにあたって、受難のみを取り出し鬱になっている読み手」に対してなのだろう。

 悲劇というのは、サウスパークの『カートマン・レクターの鬼畜晩餐会』のような物語を言うのであって、復活がある物語に於いてはその定義に入らないと僕は主張したい。

 衛宮切嗣は確かに衛宮士郎を災害から救ったのであるし、鹿目まどかは自分のあるべき場所をみつけたのだし、暁美ほむらも物語開始時からのワガママを劇場版で叶えたのだから、これを悲劇と称するのは彼らに失礼だろう。(サンダーボルトファンタジーに関してはまた違うタイプの脚本だと思っているので触れない)

 

 この話をしていたら、ちょうどフォロワーが劇まどについて言及していたので僕も思いの丈を吐き出す。TV版まどか☆マギカ鹿目まどかというキリストの受難と復活を描いているのは確定的に明らかなので、僕は劇まどを「神に恋した女の子」の物語だと思ってる。それは暁美ほむらが悪魔になったことからも明らかである。神とは誰かが独り占めするものではない。それは作中で美樹さやかが指摘していた通り。キリスト者は隣人愛の為に生きるべきであって、人間としての鹿目まどかが手に入るなら他者はどうなってもいいという暁美ほむらの姿勢はキリスト教の、即ち鹿目まどかの「みんな仲良く幸せに」という姿勢とは相反するものである。だから暁美ほむらは悪魔と称される他なかったのである。はぁ……関係性……。

 

 そんなこんな色々考えていたらお昼になっていたので、お昼寝をする。近くの幼稚園からバカでかい声で『にんじゃりばんばん』を歌う子供たちの声がしてうるせえ。お昼寝しろ。(そもそも平日の真っ昼間にお昼寝している方がおかしいというのは言うまでもない)

 お昼寝していたら夜になっていたので、ご飯を食べてお風呂に入ってブログを書く。明日も4時半に起きてバイトへ行く。

70

 サークルで作ってるノベルゲームのシナリオの締切が迫っている。プロットは出来ているので、あとは肉付けだけなのだが、どうも体の調子優れず、全てが面倒くさい。本当に。ひたすら面倒くさい。なんだこれ。

 今日も6~9時のバイトから帰ってきた後、寝て、オナニーしてたら一日が終わっていた。大学は面倒なので行かなかった。

 書き始めればあるラインを超えるまでは楽しいのだから、さっさと机に向かえばいいのだと思う。

 完成したらこちらで紹介するかもしれない。ライター名義は別に設定する予定。興味がある人だけが「キィ」から別名義に接続すればいいと思う。

69 無限のリヴァイアス 和泉こずえ 尾瀬イクミ

 無限のリヴァイアス観終わった。

 あのさぁ~~~~~~~~~~~和泉こずえ?お前だよ、お前。ちょっとツラ貸せヨ。えぇ?なんなんだオメーはよォ。

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 俺はね、許されないと思うよ。

 こいつはねぇ、尾瀬イクミっつーメサコン男を利用して気持ちよくなってるとんでもない売女なんだよっ。

f:id:kii8508110:20181125164001p:plain

 この尾瀬イクミっつー男もだな、自分の救世主願望を満たすために和泉こずえを利用してるゲス野郎なんだよっ。

 しかも、この男は和泉こずえの中に、かつて自分が恋していた実の姉を見てるクソ野郎なんだよっ。和泉こずえ自身とは全然向き合ってねぇんだよっ。死ねっ。

 

 はぁ~関係性……。

 俺は関係性のオタクさ……。

 

 『無限のリヴァイアス』は漂流した宇宙船に子供たちが閉じ込められて云々、という『十五少年漂流記』式の、もっと言えば『蝿の王』式の物語なんだけれど、和泉こずえと尾瀬イクミの関係性は漂流が無くてもどこかで限界を迎えることは火を見るより明らかなんだよなあ!?

 はーっ。こわっ。

 で、この和泉こずえとかというメサコンたらしのゲロ女は丹下桜の声帯をしてるんだよね。

 こわっ。

 えっ……?

 こわっ。

 

 怖すぎるので、一日中気持ちの悪いオタクスマイルを浮かべていました。

 

 

メサイアコンプレックス - Wikipedia

 

anime.dmkt-sp.jp

 

 ん?

 相手を救世主願望を満たすためだけの道具として見てる……?

 相手の中に別の誰かを見て、相手自身を見てない……?

 これは……実質ウテナ!?

www.youtube.com

 

anime.dmkt-sp.jp

 

ごうが~い!ごうが~い!

かしらかしら?ご存知かしら~?

68

 休日はボーッとユーチューブなんか見てる。ほんと、これといって何か積み重ねたような気が起きないのに、時間だけが過ぎてる。すごいぜユーチューブ強いぜユーチューブ。ログインいらずで、シークバーは自由自在(僕がNTTにみかじめを払っている限りはね)。ほんと最高。早寝早起きはするぜ。僕は結構、そういうの好きだからさ。でも、起きてからずっとユーチューブさ。シャドウバースの実況とか見てる。でも別にシャドウバースが好きなわけじゃないぜ。ただ、ドミノ倒しを眺めてるのと同じさ。カードが出たり消えたりしてる絵を、そういう映像作品なんだと思って眺めてる。スクリーンセーバーとかさ、ほら、意味もなく図形がいつまでも変形して、画面中を転がってるだろ。そういうものを眺めてる。

 時間はそんなにいっぱいあるわけじゃないってことは、よくわかっているんだけれど。そうして霧の中に時間を投げ込んでしまえば、いつまでも時が待っていてくれるような、そんな気持ち。でも時計はばっちり進んでる。尤も、時計なんてものは人間が勝手に作ったものに過ぎないんだから、無視だって出来るんだけれど。僕が10年を1年と決めたなら、僕の世界ではそういうことなんだ。そうでしょう?

 でもそれって、一人で生きてくってことでしょう?出来るのかしら。そんなことが。無理でしょうよ、そんな事は。だって寂しいし。だから仕方なく、この24時間軸で生きていくしか。

 違う。違うぞ。本当は俺の外に世界なんかあっちゃいけないんだ。俺は王様だぞ。この世界の王様。この魔界の王様。魔王だぞ。全部俺様の思い通りにならくっちゃあ、おかしいだろう。この俺の世界だけあればいいんだ。他は俺様の世界に逆らっちゃいけない。

 嘘、嘘。僕には、そんな風に他人を従わせる度胸なんて無いです。ちょっと、そうだったらいいなあ、って思ってみただけです。だって、誰かを殴るのって疲れるし。魔王はねえ、力で誰かを操るんだぜ。嫌だな僕はそういうの。なんとなく僕にとって都合よく運んでくれはしないかって、そう思ってる。なんとなくで。都合よく。僕が気持ちよくなれるように。

67

 元来、僕には、酷い道化をしてやりたい気分になる時がある。スクランブル交差点の中心でオナニー・ショーでもしてやりたい気分にだ。自慢じゃあないが、現実世界の僕を知る人間の多く……所謂「善良な人々」は「君は真面目だねえ」なんて評価を下すのだ。真面目?僕が?それは、倫理的、道徳的に大変優れた人間です、という評価か?僕はそんなこと言われると、もう本当に我慢できなくって、ただ相手を驚かすため、ただそれだけのために道化をやってしまう。皆、面白がって、不気味がって、笑うなり恐怖するなり十人十色。面白いよね。そして最後には、全部台無しにしちまう。小さい頃、積み木で作ったものを、最後にバラバラに壊してやるのが好きだった。そういう子供だったんだ僕は。

「善良な人々」が僕を心の底では馬鹿にしてたことなんて知っていたよ。知っていたさ。でも、どうだい、僕のショーは。醜悪な、悪趣味なショーはどうだい。びっくりしたかい?ええ?「教室で一人読書をしているつまらないアイツ」が、子供好みの下品なセリフや、まるで意味を成さない癲狂持ちみたいな言動をする様は。僕はそういう人間だよ。誇りだとか、そういうかっこつけしい物なんて持ちあわせちゃいないのさ。

 そんな事だからねえ、僕は、そういう道化の集まりに身を置いてみたのさ。もう「善良な人々」の前でショーをするのに疲れちまったのさ。インターネットってのはすごいぜ。普段絶対表に顔を出さない道化共が、誰の道化がより優れているのか競ってるのさ。道化同士で道化したってしょうがないだろうにねぇ。道化には「善良な人々」がオーディエンスに必要なのさ!「自分はこいつのような道化ではないぞ」という類の人間さ。道化が道化の前でオナニー・ショーをしたってねぇ、結局それはオナニーの見せあいっこさ。木戸銭の取れないオナニーを、道化がするのか?馬鹿らしいことだよ。

 そうして道化を観察する側に回ってみるとねぇ、それはそれは気分の悪いことだよ!自分もまた、そういう類の癲狂を持っているんだって、理解せざるを得ないからな。

 そういう良心がこれっぽっちも無いような場所にあっても、人間同士の交流ってのは生まれるものさ。そうして僕も誰かと心の交流を育むようなこともあったさ。でもねぇ、やっぱり僕の心の奥底には、酔狂な、悪趣味な道化がいるんだねえ。特に僕は、女に目がないのさ。もう女ってだけで、チンポがおっ勃っちまうんだ。へ、へ、へ。しかもだ、道化の僕を見て、近づいてくるような女はだな、道化を折り込み済みってわけだ。だから僕はどこまでも、どこまでも道化になれるんだぜ。醜悪な道化にねえ。僕はホモ野郎じゃあないから、男相手の道化じゃ、醜悪さは笑い話にしかならねぇ。でも女相手なら、たとえ男相手にやったのと同じそれであっても、醜悪な、まさに僕の目標とすべき醜悪な振る舞いになるのさ。僕のことを、ただの面白人間だと思って近づいてきたバカに後悔させてやるのさ。侮蔑の苦笑いを浮かべて僕にサヨナラする様なんて、傑作さ!叶うなら、奴らの先祖の墓とか、そういうモノを突き止めて、そこにションベンひっかけてやりたかったさ。僕は探偵じゃないから、無理だったけどさあ。

 でもねえ、僕にだって時々、センチメンタルな、メランコリックな、懺悔の気持ちが湧き上がることもあるのさ。せっかく、仲良くなれそうだったのになあ!どうしてこう……いつも台無しにしてしまうかねえ!本当さ……。僕はただ皆と仲良くなりたかっただけなんだ……。君の墓石にションベンひっかけりゃあ、或いは、君のバイブルで僕のケツにこびりついた糞を拭いてやれば、きっと仲良くなれると、本気で思ってるのさ……。へ、へ、へ!

品田遊『名称未設定ファイル』 感想

 我々が住むインターネットで日夜起こる出来事をテーマにしたものを主として取り上げつつ、インターネット要素はそれほどでもないSFまで、品田遊が自分に書けるものを出来るだけ沢山持ってきてくれたショートショート集。
 17篇すべて面白い。
 だが、特筆すべき1篇を上げよ、と言われたら、僕は迷うことなく『最後の一日』を挙げる。
 これは本当にすごい。芥川賞の対象にショートショートが入っていないことを残念に思う。
 所謂、「陰キャ(グラデーションを消失させてラベル付けするこの言葉はあまり好きではないが、便宜上用いる)」に類されるであろう大学生が、東京から群馬の実家へ帰省し、交通事故で死ぬまでを描いた短編だ。
 主人公・久内寿也は、ソシャゲのガチャ結果をTwitterに投稿してボヤく大学生である。漫画家が仕事の合間に描いた二次創作イラスト、ゲイビデオのワンシーンをアニメ画像の上に強引にコラージュしたもの等をリツイートする大学生である。久々の実家で、母親の少しうざったい質問攻撃に「ん」と答える大学生である。フランシスコ・ザビエルが運営しているという設定のTwitterアカウント『フランシスコ・ザビエルbot』というユーモアを発し、いいね!とリツイートを稼いでいる大学生である。故郷で久々に会った友人の生き生きとした近況報告を聞いて、空っぽの自分を虚しく思う大学生である。東京都在住で21歳の大学3年生である。
 
 名称未設定ファイルのショートショートには、星新一や藤子F不二雄や『世にも奇妙な物語』のような「一発の仕掛けが肝になっている物語」が多い(ショートショートなんだから当たり前だろ、と言われたらそれまでなのだが)。
 ところが、この『最後の一日』に関しては、とにかく肖像に徹している。久内寿也という人間の肖像を如何に正確に写すか、それに徹している。それが結果的に「一発仕掛け」で構成された他の物語の中にもあった「肖像的要素」に気づかされるキッカケにもなる。この品田遊という作家は、単なる「一発仕掛け」だけで物語をやっている人間ではない。人間の肖像をテキスト化して読者へ届けるパワーがある作家なのだ。

 この人は多分短編じゃなく長編を書いても面白いだろう、と思う。とにかく物語を書くための能力が全体的にバランス良く優れている。それでいて、決して特徴がなく面白みが無いとか、そういうこともない。

 とにかく早くみんなに読んでほしい。

名称未設定ファイル

名称未設定ファイル

 

65 ア、糞

 秋ハ夏ト同時ニヤッテ来ル。と書いてある。
 夏の中に、秋がこっそり隠れて、もはや来ているのであるが、人は、炎熱にだまされて、それを見破ることが出来ぬ。耳を澄まして注意をしていると、夏になると同時に、虫が鳴いているのだし、庭に気をくばって見ていると、桔梗の花も、夏になるとすぐ咲いているのを発見するし、蜻蛉だって、もともと夏の虫なんだし、柿も夏のうちにちゃんと実を結んでいるのだ。
 秋は、ずるい悪魔だ。夏のうちに全部、身支度をととのえて、せせら笑ってしゃがんでいる。僕くらいの炯眼の詩人になると、それを見破ることができる。家の者が、夏をよろこび海へ行こうか、山へ行こうかなど、はしゃいで言っているのを見ると、ふびんに思う。もう秋が夏と一緒に忍び込んで来ているのに。秋は、根強い曲者である。 

太宰治『ア、秋』https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/236_19996.html

  2週間前まで僕はパンツ一丁で寝ていた。夏用の毛が生えてないナイロンのシーツの上で寝ていた。薄いタオルケットで腹部を覆い、エアコンはつけっぱなしで寝ていた。
 翻って今日。早朝の僕は、糞を漏らすか、漏らさないか、という瀬戸際で電車に乗り、バイトへ、学校へ通っている。
 始業前のビル清掃バイトをやっている。自宅から勤務地まで30分以上かかるから、いつも朝4時に起きて支度をする。そうして浴びる早朝の空気は、申し訳程度に羽織ったカーディガンを簡単に通過し、僕の肉体へ直接刺さってくる。主に腹部に、胃腸に、突き刺さる。
 この2018年の9月は、例年に比べても異常な寒暖差なのだろうが、太宰が「ずるい悪魔」と称すのも、さもありなんといったところである。

「秋など存在しない。騙されるな」
そう主張する人間がいる。ダ・ヴィンチ・恐山(@d_d_osorezan)(おもしろツイッタラーランキング37位)である。

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 曰く、「秋とは夏と冬をつなぐグラデーションに過ぎない。秋が存在するならば、春と夏をつなぐグラデーションに相当する季節(即ち梅雨)を加えて五季でなければおかしい」
 実際のところ、秋という季節は掴み所が無い。秋と言われてイメージするのは、9月~10月ぐらいであろうか。しかし残暑は9月半ばまで続く。そのくせ、ある地点を越えると、僕が腸を滑り降りようとする糞と格闘することになる。
 糞を漏らすのは嫌なことである。一度、ゲーセンで糞を漏らしたことがある。当時、中学一年生の僕は『頭文字D5』をプレイしていた。その店の『頭文字D5』は100円2クレジット、即ち100円で2回プレイが出来た。1クレ目で腸が不調を訴えた。しかし、僕は2クレ目があるので、それを誤魔化した。いざ漏れた時、シートに糞が付着しないように、目一杯ハンドルに体重をかけて尻を浮かせたままプレイした。
 最初は屁だと思っていた。急いでトイレに駆け込みパンツを確認した。ほんの少し色づいていた。ズボンまで達していたら、と思うと恐ろしかった。
 帰りの自転車のサドルがいつもより鋭利に感じた。尻に糞を塗り込むために作られたみたいだった。
 家族にバレないように、留守のうちに庭のホースを「ジェット」に設定して洗い流した。糞に直接触れるのは嫌だった。
 もしも、あの時、あの『頭文字D5』が2クレじゃなかったならば、僕が糞を漏らすことは無かったのだろうか。
 母が庭に植えた小さな木が、少しだけ色づいていた。

江波光則『我もまたアルカディアにあり』 感想

 天国は見つかったか。

 

我もまたアルカディアにあり (ハヤカワ文庫JA)

我もまたアルカディアにあり (ハヤカワ文庫JA)

 

 

 人の一生は何のためにあるのか。その解答の中で最もポピュラーなものの一つは「天国の探求」ではないだろうか。
 宗教を例に取る。西アジア諸国で信仰された天国とは「ここではないどこか」であった。キリスト教においては遠い将来やってくる「神の国」であるし、仏教においては「輪廻からの解脱」である。いずれにせよ地上と縁切りすることがゴールに設定されている。これは気候や土地が人間にとって過酷な座標に住む民族が求めた天国だ。
 一方の中国を始めとする東北アジア諸国ではどうか。ここでは主に儒教が信仰される。儒教にとっての天国とは、この地上である。儒教においては死してもまたいつかこの地上へ生まれ変わる事が至上の喜びとされる。これは先に上げた西アジア諸国よりも東北アジア諸国が比較的住みやすいことに起因するのではないかと考察される。

 

 地上の楽園「アルカディアマンション」。アルカディア=理想郷と名付けられた巨大シェルターには殆ど全ての日本国民が生活保護受給者として住んでいる。そこでは何もせずとも衣食住が保証され、何をするも自由だ。絵を描いてもいいし、物語を書いてもいいし、望むなら肉体労働も用意されている。

 しかし、マンションの外は放射能や有毒ガスに侵され、誰も生身で外に出ることは叶わない。人々はこの理想郷に生まれ、育ち、子を成して、老いて死んでいく。
 この地上の楽園の中で、人々は一体どんな天国を発見するだろうか。
 
 本作はハクスリーの『すばらしい新世界』に類するディストピアものであり、同時に核戦争で崩壊した世界を歩くポストアポカリプスものでもある。短編連作でそれぞれ違う人物にクローズアップするというスタイルを取っているため、ハクスリーのそれよりもより様々なキャラクターにぐっと寄り添った内容になっている。

 故に「人間にとって天国とは?」という問いよりも「個々人にとって天国とは?」という問いの方が大事にされている。

 ディストピアなマンションと、ポストアポカリプスな荒野をのんびり散歩出来る物語だ。

 

「……俺はアホなりに色々考えたよ、親父」

 空港でそう言った。親父は偽造パスポートの癖にファーストクラスのラウンジにいた。

 偽造だと知ったのは随分後だったが。

「天国とか理想郷とかって、このラウンジみたいなもんだろ、要するに」
 フライトを待つまで時間を過ごすこの空間がきっとその縮小版なのだろうと思った。暖かすぎず涼しすぎず、混雑もなく、落ち着いた音楽が微かに流れ耳障りにもならず、酒も食い物も飲み食いし放題で、何と風呂にまで入れる。
 何のことはない、国際空港のここに、現世に、もう理想郷は存在する。
(中略)
「ここに住みたいと思うか、アル・ジャンナ」
「住みたくはねえな、こんなとこ。たまに来るならいい」
「もし仮に、ここに住め、と言われたらどうする?」
 しばらく俺はぼんやりと、ラウンジを眺めていた。身なりのいい雑多な連中は、外国人が目立った。親父からしてそうなのだが。
「……ここから自分じゃ出ていけない、として?」
「そうだ、ここで育ちここで家族を作って、そしてここで死ぬ」
「まっぴらだね。それこそガラス叩き破るか火でも点けて、ここをジャハンナムに変えてやるよ、きっと俺は」

 

我もまたアルカディアにあり (ハヤカワ文庫JA)

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すばらしい新世界 (光文社古典新訳文庫)

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