キィの日記

趣味のお話とか

「恵まれた」夢見りあむを呪ったその先で君を待つもの ーエセメンヘラは誰なのかー

『私の「夢見りあむが許せない」』https://anond.hatelabo.jp/20190422115235 

 この文章は、はてな匿名ダイアリーに投稿された『私の「夢見りあむが許せない」』に捧げるものだ。この記事自体が『夢見りあむが許せない(https://anond.hatelabo.jp/20190417172059)』という投稿のフォロワーであるため、この記事はフォロワーのフォロワーということになる。オタク、夢見りあむについてめちゃくちゃ語るやん。それだけ彼女のデザインが成功しているという事なのだろう。
 さて、件の『私の「夢見りあむが許せない」』では母子家庭で貧乏な「私」が、恵まれたであろう家庭で育った「夢見りあむ」に対する恨み節を語っている。
「私」は「夢見りあむ」が「海外で仕事をしている両親と、渡米して画家をしている姉を持つ」ことを「実家が太い」と定義し、自身の境遇と比較して、「夢見りあむは自分よりも恵まれているのに病んでいるのがムカつく」という旨を語っている。

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※夢見りあむ。その設定が意図するところを忠実に達成し、一部のオタクからやいのやいの言われてサンドバッグにされている。

かわいそうバトル

 病棟の患者の中には奇妙な感情がある。
 それは、症状が重く手術回数が多いほうが「偉い」というものだ。事故もエキセントリックなほうが賞賛を浴びて、死にそうになったり自殺を試みたりしたことがあればさらに「地位」が高い。
太田哲也『クラッシュ 絶望を希望に変える瞬間』より)

「よりかわいそうな人間が強い」、というゲームはどこにいっても存在する。上記の引用はレース運営の不手際によって大事故に遭い、全身に大火傷を負ったレーシングドライバーの手記から抜粋したものだ。こんな話はインターネットの”そういう界隈”を覗き見ることでも、容易に見つける事が出来る。障害者手帳の等級で「地位」が決定するような場所が、この世界にはある。
 そして、より強い「かわいそう」を求める戦いは、次のような新たな苦しみをも生み出してしまう。

鬱でもないエセメンヘラの人間です。

はじめまして。
22歳の女です。
大学を死ぬ気で卒業したものの、一日の大半がベッドの毎日を送っています。
ベッドから起き上がりはしても、しんどくて横になってしまいます。頭も回らず会話が出来ません。少しの音で頭に響き、痛いです。前に好きだった映画なども頭に入ってきません。二年前から徐々にこうなりました。
こんな感じでいまは自室の床で横になった状態から文章を打っています。
(中略)
大したことないのに大袈裟に騒いで恥でしかないですね。
みんな同じように苦しんでるし、私以上に辛い思いしてる人はたくさんいる。
早く普通の状態に戻りたいんですが、本当は普通なのに病気みたいに動かないエセメンヘラのわたしはどうしたらいいんでしょうか。
働きたいです。働いて、前みたいに趣味を楽しみたいです。
こんなエセメンヘラですが、メンヘラ認定されたいわけではなく、普通になりたいです。

(メンヘラ.jpお悩み相談より)https://menhera.jp/qa/537

 かわいそうバトル。個人個人に特有の苦しみは決闘場に引きずり出され、戦わされる。かわいそうバトルに負けた苦しみは「私以上に辛い思いしてる人はたくさんいる」という言葉を墓標に、他の「大したことない」苦しみと共に共同墓地へ埋葬される。もう二度と日の目を見ることは無い。
 かわいそうバトルで一番強いのは誰か?先に挙げた太田哲也のことだろうか?毎日ワイドショーで品評会にかけられる「今日のかわいそうな人」だろうか?どこか異国の地で、骨と皮だけになって泣いている子供のことだろうか?
 かわいそうバトルの果ての果て、どうやってこの世で最も不幸な人間を決めたら、僕達は気が済むのだろう。

 

 この怨嗟の連鎖の存在を自覚していても、かわいそうバトルからは降りがたい。
 そんな戦いからは降りてしまえ、と思ってみたところで、そう簡単に降りられるものではない。出来ないから、こうして皆あーでもこーでもないとずっとぐるぐるしているのだ。

 件の夢見りあむに食ってかからずにはいられなかったあの人も、かわいそうバトルの決闘場に立ち、刺されたことがあるはずだ。それなりにこの世界で年数を生きていれば、誰だってそうだろう。皆が皆かわいそうバトルのバツの悪さを知っていながら、多くの人間が出口に辿り着くことが出来ない。
 だから僕は、ただ祈ることにした。これまで埋葬されてきた全ての苦しみのために。これから埋葬される全ての苦しみのために。今この瞬間も、「かわいそうバトル」のトロフィーに手を伸ばす、全ての苦しみのために。
 祈ったところで、君の苦しみも僕の苦しみもどうにもならない。そして何よりも、この祈りの後で、きっといつか僕自身さえも誰かの気持ちを無かった事にしてしまうだろう。
 だから、君は自分の苦しみを、想いを、僕や君自身を含む全てのことから守り抜いていかなくてはならない。

 こうして無茶な「しなくてはならない」を、あくまで祈りや祝福の体で言葉にするしかない僕のことは、どうか許さないで。

『文豪ストレイドッグス DEAD APPLE』感想 ―自ずから選び取る運命のために―

選ばれたことに喜びを感じた瞬間から、選んだ相手に自分の運命を握られている、という絶対的な原理があるんです。だから、選ばれたらそれを引き受けるけれども、それは選ばれたから無条件に引き受けるんじゃなくて、選ばれたあと引き受けるかどうかという判断を、自分が選択してるんですよ。それは当たり前のことなんだけど、そこを意識してるかしてないかっていうのは、結構大きな差じゃないかな、と思ったりしているんです。
榎戸洋司(comic新現実vol.3『榎戸洋司インタビュー 「大人」になること、「世界」と向き合うこと』より)

 

 アニメ版『文豪ストレイドッグス』1期2期は、異能力に「選ばれ」、その異能力によって捨てられた少年・中島敦が、太宰治によって「選ばれ」、武装探偵社の一員に「選ばれ」……無数の「選ばれ」の果てに鏡花共々「ただいま」を言えるようになるまでの物語だった。
 1期2期の敦は「選ばれる」側の人間で、「選ばれる」ことの怖さを知らず、無垢に受け入れている。芥川が太宰に「選ばれ」たことによって苦悩しているのとは対照的に。鏡花が敦に「選ばれ」てしまったが故に、光の怖さを知ってしまったのとは対照的に。中島敦という少年は太宰治に選ばれたことを無垢に受け入れ、自分が「選ばれるに足る人間なのか?」に悩むことこそあれ、選ばれた事実それ自体に苦悩することはしない。なぜならば、太宰の事を「自分を選んでくれた良い人間」だと何の疑いもなく思っている故に、「選ばれる」ということに対して怖いもの知らずだからだ。

敦「太宰さんは、この街を守ろうとしたんですよね」
太宰「私がそんなことをする良い人間に見えるかい?」
敦「……見えますけど」
(劇場版『文豪ストレイドッグス DEAD APPLE』)

 芥川を始めとした太宰を知る人物の中で、「純粋な良い人」と太宰を解釈している人間は誰ひとりとしていない。敦だけなのだ。そんな怖いもの知らずの敦だからこそ、芥川に対してこんなセリフを投げることも出来る。

「人は誰かに『生きていていいよ』と言われなくちゃ生きていけないんだ!そんな簡単なことがどうして判らないんだ!」
中島敦(アニメ版『文豪ストレイドッグス』10話「羅生門と虎」より)

『DEAD APPLE』以前の敦にとって生きることは「選ばれる」こと。即ち榎戸的に言えば「自分を選んだ相手に自分の運命を握られている」状態が敦にとっての「生きる」ということなのだ。
 そして選ばれることの怖さを知っている芥川は、その無垢な敦の言葉に、こう答える。

「本気で思うのか。人虎。許可を出す「誰か」が居ると。他者の為、血を吐いて闘えば、誰かが『生きる価値あり』と書かれた判を捺してくれると思ったか?」

芥川龍之介(アニメ版『文豪ストレイドッグス』第23話「羅生門と虎と最後の大君」より)

 結局、2期までの敦は芥川の投げかける「自分を選んだ相手に自分の運命を握られている」怖さに対して明確な解答を出すことが出来なかった。そんな敦が「自分の運命を自分で選び取る」側に立つ為の物語が、『DEAD APPLE』だと思う。

選ばれたわけじゃない僕ら

「君は選ばれたわけじゃない。これから君が選ばなきゃならないし、選ぶ時には覚悟がいるよ。」
黒船バラード(アニメ版『忘却の旋律』第1話「メロスの戦士」より)

  

 澁澤によって異能力を失った敦は、初めて自身の内に住んでいた虎と真正面から戦わざるを得なくなる。自身の内から解き放たれ、相対化された虎を見た敦は自身が「生きたい」と思うことは決して太宰に「選ばれた」から、ただそれだけではないことを思い出す。自分の力でこじ開けた扉の先にあった澁澤と電気椅子の記憶は、敦が本来的に持っていたプリミティブな「生きてやる」の意志そのものだ。

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 自らの手で力いっぱいに扉を引く敦

「だって僕は生きたかった! いつだって少年は生きるために虎の爪を立てるんだ!」

中島敦(劇場版『文豪ストレイドッグス DEAD APPLE』より)

 

 映画の前半、しつこいぐらいに強調されていた敦の太宰に対する依存は、1期2期の敦の要約だ。敦は太宰と出会って以来、常に「太宰さんならなんとかしてくれる」と思っていて、自分を選んだ太宰に自分の運命を握らせていた。けれども、太宰と出会う前の、或いは出会って間もない敦を紐解いてみれば、彼は最初から自身の生命を自分自身で掴み取ろうという意志を持っていた。生きるための爪を世界に立て、もがいていたではないか。

「もはや生きたければ、盗むか、奪うしかない……。(中略)野垂れ死にだと?僕は死なないぞ……絶対に……なんとしても生き延びてやる!よし!この次に通りかかった奴を襲って、そいつから金品を奪ってやる!」

中島敦(アニメ版『文豪ストレイドッグス』第1話「人生万事塞翁が虎」より)

 

敦「いくら憎いからって、人質とか爆弾とかよくないよ。生きていればきっと良いことがある」
谷崎「良いことって?」
敦「うっ」
谷崎「だから良いことって何?」
敦「ちゃ……茶漬けが食える!茶漬けが腹いっぱい食える!天井がある所で寝られる!寝て起きたら朝が来る!当たり前のように朝が来る!……でも……爆発したら、君にも僕にも朝は来ない。なぜなら死んじゃうから」

(アニメ版『文豪ストレイドッグス』第2話「或る爆弾」)

 
 けれども、この「生きてやる」は「あなたはここにいてもいい」が欠けた不完全なもので、自分で自分の運命を選んでいるように見えてその実、自分を取り巻く世界に運命を強制的に選ばされているだけにすぎない。これは芥川によって強制的に殺し屋を選ばされていた鏡花と同様だ。だからこそ、敦は太宰に選ばれた後で「『生きていていいよ』と言われなくちゃ生きていけないんだ!」と叫ぶ。
 太宰の『生きていていいよ』によって初めて敦は運命の選択権を得、虎と対峙する事が出来る。
 そして『DEAD APPLE』の最終局面。敦は、かつてあれほどまでに憎み、拒絶してきた虎の力を自ずから選び取り、掴み取り、あまつさえこう叫んでみせた。

「それは『異能』じゃない……僕自身だ!」
中島敦(劇場版『文豪ストレイドッグス DEAD APPLE』)

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ずっと振り回されてきた「欲しくもない運命」「たまたま選ばれただけの運命」に、初めて自分の意志で力強く手を伸ばし、握りこぶしでぎゅっと掴み取る。これを生命と呼ばずして何と呼ぶのか。


 それまでずっと否定してきた運命。虎の力。太宰に拾われて以降の敦は、福沢の能力によって虎を任意でコントロールすることが出来るようになっている。だから敦は虎に対して見て見ぬふり、そのままなあなあで付き合っていくことも出来た。でも敦はそうしなかった。それこそが、これから敦のように運命を選び取らねばならぬ少年少女に対する福音であり、選び取った後の世界を生きる大人達=太宰へのエールではなかろうか。

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ずっと闇の中、迷い続け、つい最近やっと運命を選び取り、その後の世界を生きる者。朝日に対して優しくはにかむ事が出来るのは、敦達の生命を目の当たりにしたからではないだろうか。

 

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 自ずから運命を選び取った少年少女達は、「いってきます」を告げたその後で『武装探偵社』のドアを背に旅立っていく。
 

走れ。その厳しさを知りながら、なお本当の自由を求めるものよ。
お前が辿り着くべきその彼方まで。
世界を貫く、矢のように。

忘却の旋律(アニメ版『忘却の旋律』第24話「それでも旅立つ君の朝」より)

なぜ「アライさん」に自分を語らせるのか

 ここ数日、『けものフレンズ』のキャラクターである「アライさん」を名乗るTwitterアカウントが大量発生している。

 特筆すべきは、その多くがアカウント名に「今、自分が直面しているしんどさ」を掲げている点である。

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 親の不仲で学校に行くことが出来ない。大学に4留して無職である。ADHDである。芸能事務所に騙された。果ては「他のアライさんのように特別な苦労話が特に無い事それ自体が苦しい」というアライさんもいる。

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https://twitter.com/g30FfXpLmc0Yfgw/status/1118188430192627712

※『太陽を盗んだ男』に出てきそうなアライさん。僕達は何者にもなれない。

 

 その中で一際僕の目を引いたのは「女性になることを決意したアライさん」だ。

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 このアライさんはつい最近睾丸の摘出手術を終え、摘出した自身の睾丸の画像をアップしている。

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※アライさんから摘出された金玉。元の投稿ではぼかしが無い。

https://twitter.com/VtAGdp5sCDZ13Xi/status/1118167910709469186

 

「自分の金玉をアップする」というセンセーショナルな行動と、「匿名性の高い『アライさん』に自身を仮託して語る」という矛盾に僕は強く惹かれた。

 このアライさんは他にも矛盾を語っている。

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 誰もが『アライさん』を名乗り、非常に匿名性が高い場と化した『アライさん』で、「私は私なのだ」と主張している。「わたし」を語りたいのであれば、『アライさん』という架空かつ多くの人間が使っている看板に自身を仮託するのは矛盾している。「私はこういう者だ」と独自のハンドルネームやアイコンを用いて「わたし」を主張するべきであって、版権キャラの皮をかぶって主張するのはおかしい。

 なぜこのような矛盾を抱えてしまうのだろう。

つながりたいけど、偽りたい

『アライさん』達が匿名性の高い皮で「わたし」を語るのは、「わたし」を否定された時の痛みを知っているからではないか。『アライさん』の皮をかぶる人たちの多くは、世間的に認められにくい属性を纏っている。『アライさん』を用いて「わたし」を語れば、承認それ自体は自分が享受することが出来るし、万が一「わたし」が否定されても、そこで否定されているのは「○×なアライさん」であって、ある程度は傷つくにしても、現実の自分自身と「○×なアライさん」の間には一定の距離が保たれている。

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https://twitter.com/misiomisog/status/1118169237074272257

※『アライさん』というキャラクターそれ自体が元々受けている承認を享受しながら、「わたし」への保険にもなっている。『アライさん』というオブラートによってグロテスクな個人個人のディティールは秘匿され、「かわいそう」な属性だけが外側へ露出する。

 

「わたし」は相対化され、他者からの承認を得ることが出来なければ、その「わたし」がどこにいるのか分からない。「あなたの「わたし」はここにいてもいい」という承認が無ければ、人は「わたし」を口にすることが出来ない。

 一方で、「わたし」の相対化は他者から承認されない痛みを伴う可能性があることを『アライさん』達は知っている。彼らは社会的に承認を得ることが困難らしい自身の属性を「かわいそうなアライさん」としてパッケージングすることで、承認を得やすくしている。

 この「わたし」が本来的に抱えている矛盾によって「秘匿」と「センセーショナル」は両立する。

 僕達は、金玉を公開したいという気持ちを持つ一方で、それが自分自身の金玉であるとは「金玉というグロテスクさを受け入れてくれるだろう」という見通し無しには公開出来ないものだと思う。僕だって本当は金玉を出したい。

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https://twitter.com/VtAGdp5sCDZ13Xi/status/1118205915604246528

※「女性になることを決意したアライさん」がアップした自撮り。元の投稿ではぼかしが無い。

 

 この「女性になることを決意したアライさん」はついに顔写真を公開している。匿名性を自分からちゃぶ台返しする行為によって、『アライさん』は『アライさん』から脱皮を試みているのかもしれない。「版権キャラの皮をかぶって「わたし」を承認してもらう」という構図は、その手軽さからクセになりやすく不健康この上ないので、この脱皮傾向は歓迎すべきであるが、『アライさん』としての優しい承認に浸かっていた人たちが、グロテスクな「わたし」の相対化に耐えるのはきっと多くの痛みを伴うと思う。

 これからも『アライさん』を続けるにせよ、降りるにせよ、自身の相対化とどのように向き合うかという話は、しばらくの間ずっとついて回るだろう。いつか僕達の自意識が、羽のように、スキップでもしたくなるように、気楽に付き合える友達になったら良いと思う。

 

 ほのぼのキャラが無修正の血まみれ金玉の写真をアップロードすな~!👆どど~っ!(新喜劇みたいなズッコケ)(沢田ユキオ

89 『円盤皇女ワるきゅーレ』に出てくる強い女の話をします

 強い女に殺されたい。
 具体的には『円盤皇女ワるきゅーレ』の4話のワルキューレに殺されたい。
 天使の星・ヴァルハラ星の王女であるワルキューレのもとに、同盟国のモーラ星から許嫁候補のトリアム王子がやってくる。トリアムは自分の事は全て他人にやらせてきた王子様。従者のいない環境だと、本当は皮を剥いたリンゴを食べたいのに、自分で皮を剥くことが出来ないので、仕方なく皮付きのリンゴを食べている。
 そんなトリアム王子だから、ワルキューレと結婚した暁には政治の事は全てワルキューレに任せると言う。ヴァルハラ星にとっては都合が良いことこの上ない政略結婚なのだが、ワルキューレにはその態度が気にいらない。
 ラストでワルキューレはトリアムに向かって
「リンゴぐらい自分で剥いたら?じゃあね」と言って彼のもとを去っていく。

 よいね……
 
円盤皇女ワるきゅーレ』という作品は「ヴァルハラ王家がワルキューレに依存してしまった事で、適切な『子供』をすることが出来なかったワルキューレが幼児退行して子供を取り戻す」お話なので、ワルキューレが「自立した人間」をする回は少ない。その中で、「普段幼児退行しているワルキューレの本質は自立した女性なんだ」というこの4話があるので作品全体に1本芯が通っているように見える。幼児退行した状態のワルキューレにこのセリフを言わせることで、彼女が幼少期から自立を促されて生きてきた「子供らしくない子供」だという描写にもなっていて、その後の展開への接続が見えて気持ちがいい。
 
 僕を振る予定の方は最後に「リンゴぐらい自分で剥いたら?じゃあね」と言って去っていってください。一生その事を思い出しながらオナニーすると思います。そしてあの頃と何も変わっていない自分、リンゴを剥くことが出来ない自分を目の当たりにして自殺を試みるのだけれど、僕は自分でリンゴを剥くことが出来ないので、自殺も出来ない。その事実を僕は自殺を試みる以前からはっきりと知っているので、そのまま精液を拭ってトイレに流して布団を被って泣く。精液は自分で拭えるのだな、ということに少しほっとする。人生という名の冒険は続く。

 

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Google日本語入力だと「ゆーふぉーぷりんせすわるきゅーれ」と入力するより先にちゃんと予測変換が出る。オタクに優しい。ゆーふぉーぷり(ぷ♥ぷ♥ぷ♥ プリプリっぷり~(ぷぷぷ)夢を磨くぷり(ぷ!り!ぱ!))。

88 体液は何色でもキモいと思う

 秋葉原を当てもなく歩いていると、手のひらサイズのスーモのぬいぐるみがUFOキャッチャーのアクリル板の向こうに鎮座していた。

www.taito.co.jp

 間の抜けた愛嬌さが、妙に僕を引きつける。僕は以前から彼の事を少し気にして生活していた。

 不動産サイトのマスコットキャラクターである彼には、ある設定が与えられている。「ニート生活が祟り、実家を追い出されたスーモは、地球に流れ着いて一人暮らしのための部屋探しを不動産サイト・SUUMOを使って行っている」という設定である。

 僕自身、数年間実家で何もせずただ生存を行っていた期間が存在するため、スーモの生活についてあれこれと思い巡らすのだ。

 そういうわけで、僕はなんとなく、機械にSuicaをかざして、アクリルの向こうのアームを伸ばした。100円と引き換えに、僕には20秒と、アームの操作権が与えられる。僕は緑の毛玉に向かって、X,Zが正確に一致するようにアームの座標をレバーで指定する。ボタンを押すと、アームが地面に向かって、だらしなく転がっている緑色の毛玉に向かって、スルスルと降りてゆく。三本爪のアームが毛玉の中心をがっちりと捕らえた。そのままアームは排出口へ向かって移動していく。これは、もらった。僕がそう思った矢先、毛玉は排出口の周囲をガードしているアクリル板に弾かれて明後日の方向へと転がり落ちて行った。

 殆ど完璧に中心を捕らえたにも関わらず、あんな落ち方をされては、もう「そういう設定」なのだと理解するのが賢いものなのだと思う。ただ僕は、なんとなくムカついて、気持ちが良くなくて、もう一度機械にSuicaをかざした。ピピッと電子音がして、再び僕は100円と引き換えに20秒とアームの操作を手に入れた。アイハブコントロール

 そんな事を7回程繰り返して、我に返った。700円。ラーメンが食える。文庫本が買える。漫画雑誌が買える。バカバカしくなって、ゲーセンを出た。

 歩きながら、僕の頭の中では、タンブルウィードのように緑色の毛玉が転がっていた。風に吹かれて転がっていた。こちらに手をふっていた。頭にきたので、僕は転がってきた毛玉の一つを手で掴み取った。5本の指が付いている、血の通ったこの僕の手で。最初触れたとき、僕の手のひらにあったのは、こそばゆい毛の感触だった。ずっとなでていたい、こそばゆい毛の感触だった。僕はその感触を、力いっぱいに握りつぶしてやる。すると、勢いよく緑色の液体が、指の隙間からほとばしった。スーモの肉に通っていたらしい体液が、僕の手のひらに力負けして、指の隙間から逃げてきたのだ。先程まで手のひらにあったこそばゆさは、もう無い。体液でねとねとと濡れた毛の感触。気持ちが悪い。雨の中、延々と続いた野球の試合。或いは体育祭。或いは傘を忘れた帰り道、濡れた靴の中。

「緑色の体液だ。気持ち悪い」と僕が言う。するとどこからか、円谷英二がやってきた。

「怪獣の血が赤いと、子どもたちが怖がるだろ!緑色にしとけ!」

 僕に向かって円谷英二がそう言った。緑でもキモいだろ、と僕は思ったが、彼の剣幕に口答えするのは気が引けたので、やめた。僕の手のひらは相変わらずねっとりとした液体でいっぱいだ。

 そうして歩いているうちに、「トレーダー」の前まで来た。中古のエロゲーとか、その手のキモ・オタク・アイテムが売っている店だ。店頭のガラスにデカデカと貼り付けられたイラストの中で、目ん玉が異様にでかい架空の金髪の少女が、白いレースのランジェリーを着て股を広げている。少女の手は股ぐらをまさぐっていた。頬は紅潮し、扇状的な恍惚の表情を浮かべていた。「インバイのクサレオマンコ」というフレーズが、中上健次が僕に教えてくれたフレーズが、僕の耳元で囁いた。「インバイのクサレオマンコ」「インバイのクサレオマンコ」「インバイのクサレオマンコ」僕の頭の中で反芻する「インバイのクサレオマンコ」。

 店内に入って、階段を登る。道中、また別の架空娘のイラストが、扇状的な恍惚の視線で僕を見る「インバイのクサレオマンコ」。金髪の少女がまさぐるに使ったその手に付着した体液について考える「インバイのクサレオマンコ」。先程握りつぶしてやった毛玉の体液を想像する「インバイのクサレオマンコ」。金髪の少女の股ぐらから、緑色のねとねとした体液が、じっと見つめていないと気づかない程の速度で、ゆっくりと染み出して、真っ白なレースのランジェリーを緑で汚していく「インバイのクサレオマンコ」。

 僕が辿り着いたのは2階のR18製品のコーナー。珍しい中古のエロゲーでもあるかしらん。コーナーに一歩足を踏み入れると、そこでは360度全方位から中上健次の声が聞こえてくる「インバイのクサレオマンコ」。僕は中上健次の声を知らない「インバイのクサレオマンコ」。中上健次の顔はジミー大西に似ている「インバイのクサレオマンコ」。だから僕の中上健次ジミー大西の声で喋っている「インバイのクサレオマンコ」。

 

 円谷英二が、目ん玉のでかい架空の金髪少女に陰茎を挿入していた。

「怪獣の血が赤いと、子どもたちが怖がるだろ!怪獣の血が赤いと、子どもたちが怖がるだろ!怪獣の血が赤いと、子どもたちが怖がるだろ!」

 そう言いながら、円谷英二が目ん玉のでかい架空の金髪少女に陰茎を出し入れしている。円谷は下半身に何も身に着けていない。金髪少女の方は、白いレースのランジェリーを、上下ともに乱された格好になり、正常位で円谷に犯されていた。

 架空の金髪少女の方は、「えもふり」の要領で瞬きをし、呼吸をし、扇状的に体をくねらせていた。最近のエロゲーは絵が動くのだ。「えもふり」を始めとした様々な画像処理ソフトの普及と発展によって、多くのメーカーが二次元の架空少女を瞬きさせ、呼吸させ、扇状的に体をくねらす処理を施しているのだ。

「どうしよお!わたし処女なのにい!感じちゃうっ!」

 そう途切れ途切れに言葉を接ぐ金髪少女の股ぐらからは、緑色の体液が、しとしとと流れ落ちていた。僕の右手には、まだスーモの死体が握られていた。スーモの体液と、少女の破瓜の色は、同じ色をしていた。

「怪獣の血が赤いと、子どもたちが怖がるだろ!」

 先程から続いていた円谷英二の叫び声が、いっそう大きくなった。そして、いっそう大きな「怖がるだろ!」を最後に、円谷は動かなくなった。果てたらしかった。円谷は肩で息をしていた。金髪の少女もまた、都合よく果てたらしかった。不規則な痙攣を繰り返していた。

 しばらく2人を観察していると、2人の結合部から、緑色の寒天がゆっくりと滴ってきた。滴った寒天は、徐々に不定形の水たまりを描きだした。緑色の寒天で出来た海が、2人を中心に広がっていく。

 そうか、これが”特撮”か! 

「インバイのクサレオマンコ」「インバイのクサレオマンコ」「インバイのクサレオマンコ」

 ジミー大西の、中上健次の大合唱の中で、僕はスーモの死体を握りしめたまま、円谷英二と金髪少女が生み出した緑寒天の海が広がっていく様を、ずうっと、ずうっと、眺めていた。

 

岬 (文春文庫 な 4-1)

岬 (文春文庫 な 4-1)

 

 ↓私が「円谷英二が怪獣の血を緑にした」という情報を得たソース

円谷英二―ウルトラマンをつくった映画監督 (小学館版学習まんが人物館)

円谷英二―ウルトラマンをつくった映画監督 (小学館版学習まんが人物館)

 

円谷英二が「怪獣の血は緑にしろ」と発言した事に関する考察。実際には発言していない可能性がある。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

87 蛇腹状の柴犬

 弛緩、という言葉は蛇腹状の柴犬の形をしている。

 スーパーの帰り道、僕の隣を柴犬を連れた男が通り過ぎた。外套を何重にも着込んでいるのか、大変もこもことしていて、それが外套による膨らみなのか、元来そういう体型なのか判別がつかない。男の柴犬は蛇腹状をしていた。余分な肉が皮膚を交互に浮かせて、体表に凹凸を形成しているのだ。その犬は、まるでアコーディオンのような肉を着込んでいた。鼻と尻に手を添えて、両側から押しつぶしてやると、何かやる気の無い音がしそうだった。「狩って、食う」力が微塵も感じられない弛緩した犬だ。

 陽炎など無い1月最後の冬の中で、蛇腹状の柴犬だけが歪み、たわみ、蛇腹を形成していた。

 見ているこっちまで弛緩してしまいそうなバカ面でリードを引かれるそれを観察していると、妙にむかっ腹が立った。

 視線を上に向ける。たわんだ電線が曇った空の上に情けない軌跡を描いている。

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86 どんな狩りも許される夢

 僕は覇王にならなくてはいけない。「肉のカタマリ」になってはいけない。

 肉のカタマリは、覇王に蹴られ、殴られ、嬲られ、蹂躙され、覇王の下に跪き導きを乞わなければならない。

 なぜなら、肉のカタマリは、卑しくて、つまらなくて、くだらなくて、さもしくて、見苦しくて、どうしようもない食物連鎖の最底辺生命だから。

 だから、卑屈に生きていたくないのなら、覇王にならなくっちゃあ、いけません。

 食物連鎖の頂点に立たなくっちゃあ、いけません。

 覇王になれない人生ならば、自殺するより他に、方法がない。

 僕は覇王になりたい。胸を張って、この世界を歩くために。

 ただそれだけのために。

「君の覇道というものは、見つかったのかね」

 はい、僕はいつかどでかい事をやって、

 支配します。

 壊します。

 復讐します。

 僕をずっと退屈させてきた肉のカタマリに。

 僕が覇王となって、狩るのです。

「君は今21歳。高校を中退してから3年間家にこもってインターネットを徘徊し。そして20歳の時、肉のカタマリに迎合するかのように、高認を取って親の金で大学に通い親の金で生きながらえている」

 うるさい。

 これは、戦略的撤退というものです。

 僕は志高く着々と覇王への道を歩んでおります。

 お前のような肉のカタマリとは違う。

「何が違うんだい?君はいつ覇王になるの?何月何日?地球が何べん回った時?」

 見苦しいな。ガキみたいなレトリックを使うなよ。殺したくなる。

「僕は知っているぞ。君がロクに殴れない犯せない殺せない人間だってこと」

 本当に殺すぞ。

 取り敢えずは、そうだな。このカッターナイフで君を処刑することにする。チキチキと鳴らして処刑することにする。パキパキと新しい刃にして処刑することにする。

 もっと上等な刃物でやる方が格好がつくんだろうけれど、今僕の手元にはこれしかないんでね。

「そんな糊で錆びついたカッターナイフで、切れるものかよ」

 試してみるか。

「どうぞ」

 本当にやるぞ。僕は、僕は本気だぞ。

「どうぞ」

 いいんだな。や、やるぞ。

「そんなに脂汗いっぱい出すなよ。気持ち悪い。わかったわかった。僕が悪かったよ。君は狂ってる。普通じゃない。才能がある。人とは違う。カリスマがある。覇王にふさわしい。君の勝ちだ」

 バカにするな。

 僕をバカにするな。覇王候補生の僕をバカにするな。

「わかったからそのチキチキ鳴らすのをやめなさいよ」

 ごめんなさい。

「物分りが良くなったもんだね。さすが21歳」

 黙れ。

「肉のカタマリに混じって生活を続けなくちゃいけないみじめな君」

 社会参画をしないと、人は相対性を失って怠ける。絶対の覇王になるためには、常に肉のカタマリの存在を頭の片隅に入れとかなくっちゃならない。みみっちい日銭を稼いで必死こいて生きてる肉のカタマリの醜さを、頭に叩き込んで自分を追い込まなくっちゃ。こんな卑しい人生なんて、まっぴらごめんだってね。

「君と同じバイトして、妻子を持ってる40代のハゲ散らかしたネパール人。必死こいて生きてる擦り切れた雑巾のような男。ああはなりたくないものだと、君は思うね?」

 バカみたいじゃないか。へ、へ、へ!

「僕には結構、立派に映るんだけれどなぁ」

 敗北主義者め。

「そうやって人を見下して。バカにして。それが覇王ってやつなのかい」

 覇王にはどんな狩りも許されるんだよ。

 肉のカタマリはゴミだ。ウジ虫だ。中学生が授業中机に書きなぐった下ネタだ。昨日の嵐でゴミ捨て場から舞い上がり雨と朝露でカピカピになって通学路に散らばったエロ本だ。食器棚の茶碗の中で干からびて死んでいたゴキブリだ。

 だから覇王は肉のカタマリに何をしてもいい。

リップ・ヴァン・ウィンクルは、目を覚まして家に帰らなくっちゃいけない。帰る場所が無くなっちまう前にね」

 これは夢なんかじゃない。

 僕にはどんな狩りだって許されるんだ。

「さあ、目を覚まして。君の生活を始めるんだ」

 これは現実。だから覚めたりしない。僕が生命活動を続ける限り。覇王を諦めない限り。僕の殺しのライセンスは無期限有効なんだ。

「じゃあなんだい。君のそのザマは一体なんだい。21歳にもなって親の財布でウダウダとモラトリアムをやっている君のザマは一体なんだい。肉のカタマリと言わずしてなんと呼ぶんだい。豚のように醜く太りやがって。鉄を食え。死んでも豚を食って肥えるんじゃない。スーパーで特売の豚肉を買って毎食食う。それが君の牙の届く距離。限界」

 僕は覇王だから。ツマラナイ人間を狩る側の人間だから。頭の良い少年少女には、人間狩りが認められているんだよ。

 今までも、そしてこれからも透明な存在であり続ける僕には、人間狩りが認められているんだよ。

 どんな狩りも許されるんだ。

『すべては赦される』、そうだろ?

ラスコリニコフもイワンも最後どうなっちまったか、君は知っているね?」

 僕はあいつらとは違う。僕は”特別”なんだよ。

 だから僕は覇王になるよ。

「17歳だった君はTorを使ってくだらない弁護士にくだらない誹謗中傷を並べ立ててくだらない主張をしていたけれど。君が覇王の器ならTorなんて使わず直接行って燃やして殺してめった刺しにしてくればよかったのに」

 あれはそうする価値もないよ。

スカイプちゃんねるで女の子にばっかりコンタクト送ってた頃の話は?」

 一時の戯れさ。

「君の理屈ならば、道行く肉のカタマリを、気に入ったクサレオマンコを見かけ次第その場で殴って殺して犯してやればいいのに」

 覇王になるためには、仮初めの快楽で耐え忍ばなくてはならない時もある。

「言い訳はもういいよ。早く原発から核物質を盗んで9番目の核保有国になれ。選挙事務所の女にフラれた腹いせに大統領を殺せ。『漂泊者の歌』を歌いながら銀行強盗をしろ。父親を殺してブリタニア帝国を乗っ取れ」

 いいさ。やってやる。やってやるぞ。僕はやる。覇王になるぞ。

「嘘ばっかり」

 嘘じゃない。嘘じゃないよ。

「君は意地汚い金貸しの老婆すら殺すことは叶わない」

  僕には世界を革命する力がある。

「だったら今すぐそれをやれ」

 出来ない。

「だったら死ね。弛緩したまま。ぼんやりと腐っていく魂を定期的に観測しながら、死ね」

 僕はカンディードになるのか?

「お前にはカンディードも無理だ。たった一人で孤独に文句を言いながらボンヤリ絶望して死ね」

 それはあんまりじゃないのか。

「じゃあ今すぐ死ね」

 一体どこで間違った?僕のエーテルを曇らせたのは、一体何だ?

「お前のためにカートが歌ってるぞ。レイプミー。レイプミー、マイフレンド」

 無邪気に山田悠介を、江戸川乱歩を、石岡君と一緒に読んでいた。ドラえもんひみつ道具でしりとりをした。

 楽しかった林間学校。石岡君の持ってきたトランシーバーを使って女子の部屋に侵入し小声で実況だけして何もせず帰った。

 あの頃、小学生の僕は、限りなく透明で、そしてこれから先もずっとずっと透明であり続けると信じていた。

「You’re gonna stink and burn…」

『どこで』?それがナンセンスな問いであることは分かっているだろうに。ターニングポイントなんかあるものか。気がついたら弛緩してんだ。気がついたら濁ってんだ。

 石岡君ごめんなさい。僕は随分濁ってしまいました。中学生になってからも、ちゃんと君と仲良くし続けていれば或いは、僕のエーテルは濁らなかったのかもしれません。

 

 

 嫌だ。僕は死にたくない。一人にはなりたくない。誰も一人にはなりたくない。それが生きる意味じゃないか!

「そうよ。だからあなたは立って。生きていかなくっちゃ」

 須磨寺雪緒ちゃん!?

「生き残ってしまったなら、私たち生きていかなくっちゃならないの。たとえ肉のカタマリになってしまっても」

 怖いよ。嫌だ。僕は覇王になれないなら死ぬ。

 それより他に、方法がない。

 それより他に、方法がない。

 でも死にたくない。一人は嫌だ。肉のカタマリにもなりたくない。

 何者かになりたいんだ。

 覇王になりたいんだ。

「それでもあなたは生き残ってしまう」

 やめてくれ。

「汚く老いさらばえて」

 助けてくれ。そんなひどいことを言わないでくれ。僕と一緒に死んでくれ。

「生き残るわ。私も、あなたも。そして生活を生きていくの」

 嫌だ。この夢から覚めたくないんだ。

 だって、今覚めてしまったら、僕はどこに帰ればいい?

 目覚めたウィンクルを待つ家など、とうの昔に無くなってしまったろうに。

「あなたは自分の周囲を無視して勝手に悦に入りたいだけ。あなたは手遅れなんかじゃない」

 僕は本当に孤独なんだよ。嘘じゃない。信じてくれ。覇王の血統に入れてくれ。僕は肉のカタマリなんかじゃない。覇王なんだよ。

「私もあなたも一人じゃない。覇王でもない。だから、死なない。無様にき生き続ける」

 怖いよ。僕には生活が怖い。

「吹雪に閉ざされた牢の中にも、生活はあるのよ」

 なんたるザマだ。

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85 同窓会には誰が来る?(劇場版 機動戦艦ナデシコについて)

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浅野いにおおやすみプンプン』13巻より
 

 今更劇ナデを観ていました。劇場版機動戦艦ナデシコ

 TVシリーズの2年後を描いた作品です。一度解散した宇宙戦艦ナデシコの乗組員たちが、一回り大人になって帰ってきます。

 僕は劇ナデを観るのが怖かったんです。同窓会的だって聞かされてたから。

 だって同窓会には、「当時と変わらないよ!という強がりが出来る人間」しか来れないから。

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84 扉の向こう側からやってくる虎

 僕の弟は阪神タイガースの歌をよく歌います。

 弟には、分別というものがなく、僕がテスト前だというのに、お構いなしでオン・ステージです。

 六甲おろしに始まり、打順1番から9番までの応援歌まで、阪神タイガースの歌を全部歌います。

 僕は阪神ファンではないし、特定の球団を情熱的に追うタイプではなかったので、ただうるさいだけでした。

 

 シャープな打球グラウンド突き抜けろ

 走れレッドスター赤星チャンス切り拓け

 

 他にも、湘南乃風とか、エグザイルとか、全身に「その手」の文化を纏った彼は、僕を不快にさせます。

 しかもイヤホンとかヘッドホンが嫌いで、常にプレイヤーから垂れ流しです。お金さえあれば、デカいスピーカーから大音量で流していたんじゃないでしょうか。

 僕は自分の部屋にこもってブツブツと歌います。『天使のいない12月』の曲を歌います。

「憂鬱が始まる~♪長過ぎる一日がイヤ~♪」

 それでも、やはりイヤホンの向こう、扉の向こう側から、弟の阪神ソングとその他諸々の音楽が聞こえてくるのです。

 

 シャープな打球グラウンド突き抜けろ

 走れレッドスター赤星チャンス切り拓け

 

 大体、僕は赤星ってあんまり好きではありません。

 パワプロで使いにくいからです。ミートだけA判定で、パワーがF判定なので、ホームランが打てないのです。

 僕は気持ちよくなりたいのです。ローズとかカブレラとかペタジーニとか、そういう選手ばっかり詰め込んだアレンジチームで、ホームランが打てればそれでいいのです。

 観戦する分には、ちょこちょこ動き回る選手はかっこいいけれど、最も僕と時を過ごした赤星憲広パワプロ赤星憲広であって、グラウンドの赤星憲広ではない。

 青森県に住む僕にとって、仙台も北海道もどこか遠い国だったし、まして関西の球団なんて地球外球団です。

 どうして弟がそこまで阪神を好きになれるのかよく分かりませんでした。

 僕は人に好きな球団を聞かれた時、「中日かな」と答えます。濃い青色が好きだったからです。なので、弟が阪神を愛するように、例えば応援歌を全部覚えるようなことを僕はしていませんでした。僕が中日を好きだったのは、他でもないチームカラーのためなのです。したがって、横浜のことも好きでした。青いので。

 

 そんな生活が何年か続いて、僕はいつの間にか、阪神タイガースの応援歌を諳んじることが出来るようになっていました。

 人間関係に疲れて野球部を辞めたばかりの中学2年生の僕には、「阪神タイガースの応援歌を諳んじる事が出来るようになっている」という事実は、あまり歓迎すべきものではありませんでした。

「触れるものを輝か~し~て~い~く~♪」

 自分を見失ってはいけません。アニメの歌と、エロゲーの歌を、口ずさみ続けなくっちゃ、いけません。

 扉の向こう側からやってくる虎に負けないように、口ずさむのです。

「悲し~みにぃ~試されるたび~♪」

「忘れない~誰かの声が~切なく響く~♪」

「そ~らの~隙間から~降り注ぐ~♪」

 知っている限りの歌を、口ずさむのです。

 

 彼の最も恐ろしいところは、そんな男性社会だとかマイルドヤンキーだとか体育会系だとか、そういうものを剥き出しにしたメンタリティをしている癖に、アニオタ・カルチャーにも一定の理解があることなのです。

 僕は知っています。小学生の頃、彼が家族共用のパソコンで『明日のよいち!』のエロ画像を印刷していたことを(別にわざと見たわけではありません。机にそのままプリントアウトした二次エロを置いておく方が悪いんだ。)。

 

 そんな事だから、彼は体育会系全開の田舎の野球部で中心的ポジションにいながら、ラブライブが好きな卓球部の同級生を家に招いたりもするのです。

 彼はどうも外面は良いらしく、野球部の人間からも、他のコミュニティに所属する人間からも高く評価されているようでした。

 そうしてどんな人間とも仲良くやっていく彼に、一抹の憧れを抱きつつ、僕と弟がいつか何のわだかまりもなく普通に暮らせる日も来るんじゃないかと、ワクワクしながら見つめていました。

 

 しかし、家庭での彼は、とにかく自己中心的な男でした。

 阪神タイガースの歌をひっきりなしに浴びせかけることに象徴されるように、彼は自分の願うことなら全て思い通りになると思っているのです。殴る蹴るの直接的暴力はありませんでしたが、自分の主張が通らないとすぐに大声を出して威嚇します。自分の主張が通るまで延々と大声と態度で駄々をこね続けるのです。

 これは父親も時折我々にやって見せることでした。僕は子供の頃、「父は僕が悪いことをしたから正当な権利を行使して叱っているのだ」と思っていましたが、時が経つにつれ、「自分の不快感を晴らすために叫んでいただけだったんだな」と気づくと途端に虚しくなりました。

 朝は母親と弟の口喧嘩で目が覚めます。日常になってしまうと、これが当たり前の微笑ましい家族の風景なのか、完全に狂っているのかもうよく分かりません。とにかく僕が毎日不快な朝を過ごしていたことは事実です。

 それでもお互いに手を上げることは一度も無かったので良かったです。特に弟の方はベンチプレス100キロを簡単に上げる筋肉バカだったので、もし何かの間違いで誰かを殴ることになったら酷いことになっていたと思います。野球部員だったのでその辺りは気をつけて行動していたのかもしれません。

 

 したがって、東京で暮らすようになった今でも、僕は阪神タイガースについての情報を目にすると、中高生の間ずうっと僕の部屋へ放たれ続けた虎の事を思い出すのです。

83 誰も太陽を見ることは出来ないけれど

柱にくくられてさらしものになっても、俺は存在するし、太陽を見ているんだ。太陽が見えなくたって、太陽の存在することは知っている。太陽の存在を知ってるってことは、それだけで、もう全生命なんだよ。

ドストエフスキー 原卓也(訳)『カラマーゾフの兄弟(下)』新潮文庫 211ページより

 

「太陽は見えないけれど、存在するからそれでいい」なんて、強がりだろう?という返答が返ってくるだろうか。僕はそんなに強がりでもないと思う。

 或いは、これを強がりだと言う人は、「止まない雨は無い」と言ったら納得するのだろうか。僕にはとても嘘っぽくて、悲しく思える。ずっと続く幸福が無いように、ずっと続く不幸が無いことはある種の事実であるが、それは無限に続く折れ線グラフであって、為替の相場のように上がったり下がったりが無限に続く。グラフそれ自体が甚く虚しく思えた時、「止まない雨は無い」という言葉は全く力を失ってしまう。

 或いは、「そんなバカバカしい事は考えないで、とりあえず働け!」というカンディード式の解答を、僕に言う人がいるかもしれない。無心で働くことの美しさは、僕もある一定の敬意を払うところだけれども、僕はそんなに賢くないので、そんな風に思うことも、やはり出来ない。無心で働いてる間にも、やはり僕は相場の中に生きているのであって。終わりの無い期待と落胆の中に生きているのであって。その事実それ自体には何の変化も無いのだと、そう思ってしまうことをやめられないのだ。

 とにかくすっきりしない生活が、曇り空みたいな生活が、後にも先にも延々と僕の周囲を隙間なく取り囲んでいる。

 やることなすこと全てがデタラメで、僕はただ雲を極彩色で照らす刹那的照明弾を時々打ち上げることしか出来ない。それはとても刺激的で気持ちが良いものだけれど、極彩色の光は雲を光らせるだけで、終わる。

 こうして全くアテを無くした僕が信仰すべきは一体なんなんだろう。

 それがもし、ひょっとしたら、太陽なのだとしたら。

 想い人と結ばれた直後に、無実の罪で裁かれんとしているドミートリイ・フョードロウィチ・カラマーゾフの言う、太陽なのだとしたら。

 誰も太陽を見ることは出来ない。見ようとすれば、目が潰れてしまうからだ。

 だとしたら、曇り空の日を照らす太陽と、よく晴れた気持ちの良い日を照らす太陽に、何の違いがあるだろうか。

 例え永遠の曇り空でさえ、太陽は必ずそこにあるじゃないか。

 或いは夜だっていい。地球の反対側に太陽があることを、僕は知っているじゃないか。

 或いは太陽が死んでしまったっていい。僕は太陽のことを、もうたくさん知っているじゃないか。

 宇宙に出て、太陽を探すのだ。或いは、自分で作り出したっていいじゃないか。

 

 太陽の存在を知ってるってことは、それだけで、もう全生命なんだよ。

 

カラマーゾフの兄弟〈下〉 (新潮文庫)

カラマーゾフの兄弟〈下〉 (新潮文庫)