85 同窓会には誰が来る?(劇場版 機動戦艦ナデシコについて)
今更劇ナデを観ていました。劇場版機動戦艦ナデシコ。
TVシリーズの2年後を描いた作品です。一度解散した宇宙戦艦ナデシコの乗組員たちが、一回り大人になって帰ってきます。
僕は劇ナデを観るのが怖かったんです。同窓会的だって聞かされてたから。
だって同窓会には、「当時と変わらないよ!という強がりが出来る人間」しか来れないから。
例えば、実際そういう事があったかは知らないけれど、『金八先生』とか『ごくせん』の同窓会スペシャルで、既に芸能界から干された生徒がいたら出席出来ないと思うんですよね。
現実の同窓会もやっぱりそうで、結婚したりとかフリーターやってたりとか、色々それぞれある中で、「私、根っこはあの頃と全然変わってないっすよ!」という強がりで当時と同じ居場所を作れる人間だけが出席出来るわけです。
当然、当時からクラスに居場所が無かった人間は出席なんてしないし、今の生活が当時とギャップしすぎて「変わってないっすよ!」のポーズが出来ない人間は出席なんて出来ないんです。
結論から言えば、テンカワ・アキトは「出席出来ない側」になっていました。
テンカワ・アキトは反政府勢力に拉致され、人体実験の犠牲となり、あらゆる感覚器官の機能を失ってしまっていたのです。
特に味覚がダメで、アキトは料理をすることがアイデンティティだったから、酷く卑屈になってしまって、ナデシコのクルーに戻れなくなっていました。
「みんな優しいんだから、そのまま戻ればいいじゃん」って思うかもしれないけど、やっぱり何かの拍子に「またあのラーメン作ってよ」、なんて言葉が出てきてしまったら、どうにもならないですよね。
だからきっと、皆腫れ物に触るように、大事に大事に扱うことしか出来ない。
でもそんなことしちゃったら、もう同窓会じゃないじゃないですか。
だからテンカワ・アキトはナデシコのクルーに合流出来ないんです。
今21歳の僕も去年、成人式に行ってきました。
僕は中学校の頃は文化祭とかで、全校生徒を前にコントとかやっているような人間だったので、それなりに居場所はあったのです。
したがって、僕が成人式に出ることが出来たのは中学時代のクラスメイト相手にポジションを持てるからです。
高校の頃の人間関係は、人と関わることを極端に怖がっていたし、中退もしてしまったので、殆ど残っていません。
高校を中退したことは、それなりに知られていたことなので、やはり多少の気遣いはされました。ただ僕も「強がり」が出来るから出席しているわけで。
「○○来てる?」
「いや来てない。てかアイツ何してんの」
「高校辞めてから知らねー」
「○○君は?」
「そういえば○○もいないね」
「出席できない側」の人間は言われ放題です。決して軽蔑するような意図も雰囲気もその言葉にはありませんが、どこかやるせない気持ちになってしまう僕は感じすぎなのでしょうか。
ホシノ・ルリは、TVシリーズでナデシコに乗っていなかったハリーとサブロウタという新メンバー2人を纏めて新しいナデシコを運営しています。
他の旧ナデシコクルーは既存キャラとの絡みがメインでしたが、ルリルリだけはTVシリーズで全く関わりのなかった人物達を纏め上げる事が出来るのです。
思えばTVシリーズで一度旧ナデシコチームが解散の危機に陥った時も、再招集の中心にいたのは彼女でした。
TVシリーズ序盤、「頭の良い生意気でコミュニケーションが苦手なクソガキ」だったホシノ・ルリは、いつの間にかどんな場所でも新しいコミュニティを形成し纏めていける大人になっていたんですね。
だからテンカワ・アキトを迎えに行くことが出来るのは、ホシノ・ルリだけなんです。
旧ナデシコチームという同窓会ではアキトを迎えることなんか出来ない。
2年前で記憶がストップしているミスマル・ユリカにも、まだ今のアキトを迎えることは出来ない。
でもホシノ・ルリなら、アキトを迎え入れる事が出来る新しいナデシコを作っていける。
同窓会では未来の想い出を作っていく事は出来ないけれど、もし新しいチームとして、今この時を一緒に積み重ねていく共同体として再定義された上で、皆がナデシコに集まるならば、これからの想い出は可能になると思うのです。
あの日のこと 未来(あした)の事
もっと 想い出下さい
(『劇場版 機動戦艦ナデシコ -The prince of darkness-』主題歌『Dearest』より)
「帰ってこなかったら、追っかけるまでです」
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