キィの日記

趣味のお話とか

87 蛇腹状の柴犬

 弛緩、という言葉は蛇腹状の柴犬の形をしている。

 スーパーの帰り道、僕の隣を柴犬を連れた男が通り過ぎた。外套を何重にも着込んでいるのか、大変もこもことしていて、それが外套による膨らみなのか、元来そういう体型なのか判別がつかない。男の柴犬は蛇腹状をしていた。余分な肉が皮膚を交互に浮かせて、体表に凹凸を形成しているのだ。その犬は、まるでアコーディオンのような肉を着込んでいた。鼻と尻に手を添えて、両側から押しつぶしてやると、何かやる気の無い音がしそうだった。「狩って、食う」力が微塵も感じられない弛緩した犬だ。

 陽炎など無い1月最後の冬の中で、蛇腹状の柴犬だけが歪み、たわみ、蛇腹を形成していた。

 見ているこっちまで弛緩してしまいそうなバカ面でリードを引かれるそれを観察していると、妙にむかっ腹が立った。

 視線を上に向ける。たわんだ電線が曇った空の上に情けない軌跡を描いている。

  弛緩している。

 僕はもう2ヶ月大学に行っていない。後期のレポートを一つとして提出していない。

 蛇腹人間と同じ座標を共有したくないと僕は思った。

 僕の見えないところで彼らは「うまくやって」いるのだろうと思う。

 複数枚の学生証を使ってその全てをピッ、ピッとチェッカーにかけるあの人は、虚しくないのだろうか。3枚だか4枚の学生証を一気にスキャンするその姿は、昔デパートでやったムシキングだかドラゴンボールだかの、1回100円のカードゲームを思い出した。それを見た僕が一々むかっ腹を立てている。ダメージを負っている僕の方が幼稚なのだろう。

 くだらない講義の責任を自分に求めない講師。寝ている人間が、読書をしている人間が、スマホを弄っている人間が気に食わないのなら放って置けばいいと思う。お前が一々注意する時間にこっちは金を払っているのである。自分の講義の質を多少疑ってみる気はないのだろうか。頭にきたので、僕は机の下コソコソと読みかけの小説を開いた。

 僕はいつもの癖で、周囲全ての人間を蛇腹に見ている。僕の視界に入る人間の大半は下等生物で、生きる価値の無い犬人間だと思っている。

 そして、蛇腹から逃れた僕がやっている事と言えば、特に見たくもない動画をYouTubeで垂れ流す事だった。カードゲームの動画を垂れ流していると、心が安らいだ。プレイヤーがカードをプレイする。セリフが流れ、エフェクトがかかる。キャラクターが攻撃する。またセリフが流れ、エフェクトがかかる。まるでピタゴラ装置のように、パタパタパタとカードが次々プレイされる様子を、僕は布団に寝っ転がって眺めている。脳ごと僕が蛇腹状になって弛緩していく。ついに視界さえ蛇腹状に弛緩して、寝ても覚めてもずっと蛇腹にたわんだ陽炎を見ているような気になっている。

 部屋の中。不規則に平積みされた漫画。まだ開封していない実家から届いた毛布類。弾けそうにないエレキギター。ずっと開いていないシラバス。ゲイビデオとカルト宗教のビデオが収まっているハードディスク。買ったきり一度も開いていないヤクルトスワローズの傘。梱包材が入ったPCケースのダンボール。いつの物かわからない公共料金の領収書。

 この部屋の始まりと終わりに手を添えて、そのまま両側から押しつぶしたなら、一体どんな音がするのだろう。