57 『SWAN SONG』 切実に生きることについて
こんな糞みたいな世界で何かを望むのって本当に疲れると思います。そして、「僕は何も望んでいません」と何らかの形でハッキリ表明しようものなら、落伍者として蔑まれ罵られ孤立していく。だから「望むフリ」「希望するフリ」をして生きていかなくちゃならない。ですよね?
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55 以前、短編小説新人賞に出した小説を公開します
以前どこかの記事でコバルトの短編小説新人賞に小説を投稿したというお話をしていましたが、すっかり全体に公開するのを忘れていました。
特に賞とか貰ったりどっか紹介されたりは無かったので公開しても大丈夫だと思います。
良かったら読んでみてください。
54 宿題
期末レポートが迫ってくる。別に大した物ではない。取り掛かればすぐ終わってしまう程度のものだと思う。
が、書けない。というより書く気がない。面倒くさい。
大体、僕は昔から宿題というものが嫌いなのだよね。外から勝手にやってきて、ストレスを課して去っていく。運命の権化だと思う。夏休みの宿題はいつも最終日に泣きながらやっていたものだよ。なんでこんな想いしなくちゃいけないんですかって。僕が何を悪いことしたんですかって。これなら夏休みなんか無い方がマシだと思う。普段やってない特殊カリキュラムを、夏休みを理由に課すなんて悪魔の所業じゃない?どうかしているよ。
中でも僕が一番嫌いだったのは読書感想文だった。大体、読書って選択肢の一つでしょう。無理矢理やるものでもなし。そして、読め読めと迫る大人の一部が言うほど切実に書を嗜まないことを僕は知っている。
いや、僕だってコロコロコミックで感想文を書いてもいいよ、と言われたら喜んで書くと思うのです。『でんぢゃらすじーさん』で感想文を書いてもいいよ、と言われたら喜んで書くと思うのです。でも、それは許されない。『でんぢゃらすじーさん』を読めない大人はバカだと思いました。本当に大人って笑いのセンスが壊滅的だったな。
僕が『ボボボーボ・ボーボボ』のアニメを観ていたときもそうでした。あんまり面白いので「ママも観ようよ!」と母親を誘ってみるのだけど「ええ……だって、アレ、意味わかんないし……」とすごく困った顔をしていた。これが楽しめないなんてかわいそうだなぁと心底思っていた。意味不明なオブジェを解する文化人の気持ちが少し分かった気がしたよ。まあ、だからこそ子供に「意味のわからないもの」を、楽しんでいるから、それだけで観せてあげられる両親の凄さが分かるのだけれど。
ああ、それにしてもやりたくねぇなぁ。めんどくせぇなぁ。ばかみてえだちくしょう。
近況報告 2018春
お久しぶりです。キィです。
ブログの方は久しぶりですね。
転入とか転出とか引越のあれこれで忙しくて中々纏まった文章を書く体力を確保する事が出来なかったので。
日芸はダメでした。半年でそれまで数年受験から離れていた人間がいきなり偏差値50以上に合わせていくのは難しいですね。やっぱり。
それでも一応滑り止めの大学に受かったので今僕は青森を離れて東京に住んでいます。
下に住んでいるおばさんが厄介らしい(僕はまだ何もされていないが、管理会社の話によると警察沙汰になったりしたらしい)という事と、壁が薄くて音が筒抜けなとこ以外は特に不自由なく生活しています。ありがたいことですね。
東大行くぞ行くぞ行くぞのノリから日芸に目標が変わって、最終的に滑り止めの大学にギリッギリ引っかかるというのは何とも格好がつかないオチでありますね。
昔、野球をやっていた頃、キャップに「エースは俺だ!」とマジックで書いたけれど、結局ベンチ外より上には行けなかった事を思い出します。
一度、誇大な目標を本気で信じてみないと人並みの努力が出来ないので。難儀な体質です。
ともあれ取り敢えず「学生」という社会参画をしている体を手に入れたので、これは紛れもなく勝利であります。
取り敢えず夏休みの最終日を延々と繰り返す日々は終わりました。バンザイ。
数ヶ月したら自堕落になってそうだけど。
それでは皆様、取り敢えず明日も生き残りましょう。