キィの日記

趣味のお話とか

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 僕は自己紹介というものが嫌いだ。入学式とか、クラス替えとか、どうせ最大公約数的趣味しか会話の取っ掛かりにならないんだから言う意味ないじゃん?ってずっと思ってる。

  幼稚園の頃、僕の父親はいっつもリビングでベストモータリングとかカーグラフィックTVとか頭文字Dとか流していたから、僕も自然と車好き、とりわけスポーツカー好きになった。だからいっつも自己紹介で「車が好きです」って言うんだけど、車が好きな園児とか、小学生なんてあんまりいないのだよね。スーパーカーブームなんてもうとっくの昔に終わっているし。テレビでは地球温暖化の話ばかりしているし。中学生になるとゲーセンの介入があるからまた違うのだけれど。

 僕が園児の時に書いた自己紹介カードには「スプリンタートレノのうんてんしゅになりたい」って書いてある。「スプリンタートレノってなあに」って聞かれるから僕は「スプリンタートレノっていうのは、拓海が乗ってるすごい速いトヨタの車なんだよ」って答えるんだけれど、「ふうん」で終わり。そりゃそーだ。

 そう考えると自分を偽らずに自己紹介をするのって損でしかない。バカみたいじゃない?小学校高学年頃になると僕は真面目に自己紹介するのをやめた。

 でもさぁ、自己紹介を真面目にやらない人間ってどうなのだろうね。人と打ち解けようっていう気概が無いよね。誰も俺に近寄るな!って、そういう事でしょう?まあ、なんて臆病な人!

 でもいきなり全部オープンにしてきたら、それはそれで怖いじゃない?

 例えば、ガッチガチのメンヘラが「私は薬が好きです!今からODします!」ってざっばーっと薬飲みだしたらどうなんですか。教室のど真ん中。1年1組の生徒は全部で40人。全員未成年。倫理的に、まずくないでしょうか。CEROで言ったらどれくらいになるのでしょうか。

 瓶から喉へ向かって、カプセルがざばざばとこぼれ落ちる音がしてる。みんな固唾を飲んでそれを見守ってる。おいおい、大丈夫かよ。こいつ、大丈夫なのかよ。

 そうこうしているうちにメンヘラの腹はパンパンに膨れ上がっている。なんだか、魔人ブウみたいだなぁ、と僕は思う。僕はドラゴンボールのことはよく知らない。昨日、弟が見せびらかしてきたバーコード付きのカードから、その丸くてピンク色の生物について知っただけである。

 かれこれもう、10瓶以上の薬をソイツは飲んでいる。教室の隅からふざけたやつが「がんばれっ、がんばれっ」と囃し立てる。それにつられて他の奴らも「がんばれっ、がんばれっ」。それはいつしかおふざけから切実な声援となって教室中を覆っていく。

 

がんばれっ。

がんばれっ。

がんばれっ。

がんばれっ。

がんばれっ。あっ

 

 パン、と鈍い破裂音がして赤黒いものが僕の机に飛んできた。とうとう、メンヘラが破裂したのである。うわあ。ばっちぃなぁ。血なまぐさいなぁ。僕は赤黒いものを机から床に払いのけると、ポケットから『未来戦隊タイムレンジャー』のハンカチを取り出して血を拭った。このハンカチは幼稚園の頃から使っている。触り心地が本当に良いのである。『タイムレンジャー』の話はよく覚えていない。

 周囲を見渡すと皆が「がんばったねぇ。がんばったねぇ。」と涙を流してメンヘラを讃えていた。さっきショートコントを披露していたAくんも。ボソボソ声で何言ってるか全然わからなかったBちゃんも。「つらかったねぇ。つらかったねぇ。」と涙を流して讃えていた。

 そうか。僕は自己紹介に対する熱意が足りなかったのだなあ。

 僕は己を恥じた。