僕と、須磨寺雪緒という脳内彼女について
AM6:25
「おはよう。キィ君、最近早いのね」
2階にある僕の部屋から、雪緒ちゃんが1階の居間に降りてきた。
雪緒(ゆきお)というのは、僕の脳内彼女の事だ。『天使のいない12月』というエロゲーのヒロイン『須磨寺雪緒』をベースに構築された、脳内生命体である。
※須磨寺雪緒ちゃんのご尊顔。物憂げな表情通りヤベーメンヘラである。
「ああ。僕は真人間にならなくてはいけないからね。『6時に起床して、軽い運動をする』という属性は、真人間を構成する重要なファクターの1つなんだ。雪緒ちゃんも一緒にどう?」
僕は彼女に得意気に話してみせた。彼女に、今の自分が如何に真人間であるかをアピールするのは、実に心が踊った。
「わたしは遠慮しておくわ。脳内生命体のわたしに、処世術は必要無いから……」
そうか、すっかり忘れていた。脳内生命体と化したこの子はもう、現実のように何かを取り繕ったりする必要は無いのだった。
ラジオ体操の歌が流れ始めた。
あーたーらしーいーあーさがきたー
きーぼーおのーあーさーだー
「処世術を抜きにしたってさ、ラジオ体操は気持ちがいいものだよ?ほらこの歌を聞きたまえよ!ああ、僕らの世界は明るい希望に満ちているんだ!」
「それは、セックスよりも気持ちが良いものなのかしら」
「間違いないね。少なくとも、雪緒ちゃんがしているやつよりはマシさ」
「でも、キィ君は童貞でしょう」
「……」
「セックス……しましょう」
「……ダメだね。僕は真人間だから、歯磨きもしていない朝っぱらからそんな事はしないのさ」
既にラジオは今日の会場の説明を終えて、ラジオ体操第一に入ろうとしていた。
「まずは背伸びの運動から始めるんだ。よく見ていなさい」
僕は年上の貫禄十分に、雪緒ちゃんにラジオ体操のお手本を見せた。セックス中毒のこのバカ女を救うためには、穢れなき童貞の僕がラジオ体操の快楽を教えなければならない。
「おいっ。ちゃんと見ろよっ」
雪緒ちゃんは、僕の方を見なかった。彼女は物憂げに窓から差す朝日を見つめていた。この子は、こうして自分に酔っている。そして、そういう振る舞いが我々男子諸君を狂わせると知っている。
だが僕は20歳の大人だ。それに、彼女とは僕がまだ中学生だった頃からの付き合いだ。そう簡単には騙されない。
5分程、沈黙が続いた。ラジオ体操第二が始まろうとしている。
「わたし、朝日って嫌いかもしれない」
雪緒ちゃんが、遂に口を開いた。
「なんでさ」
僕は少し苦しそうに答えた。2年間、殆ど運動していなかった僕の体は、ここ数日のラジオ体操で筋肉痛になっていた。
「だって、また新しい日が始まったんだな、って嫌でもわかってしまうから。同じ太陽なら、夕日がいい。そのまま、世界ごと終わってしまいそうだから」
「高校生にもなって、そんな虚弱言語を吐くんじゃあないよ。それじゃあ世の中、生き残れないんだぜ」
僕は『腕と脚を曲げ伸ばす運動(通称:マッチョ体操)』をしながら説教した。
※ラジオ体操第二に登場する『マッチョ体操』。女子が嫌いな体操ランキング第1位
「わたしと出会った頃のキィ君は、もっと虚弱だったでしょう」
「5年もすれば、全部変わっちゃうよ。僕はもう15歳じゃない。中学生じゃない。20歳で、元ひきこもりの浪人生なんだ」
僕がそう言うと、雪緒ちゃんは悲しそうな顔をして、すぅっと消えてしまった。
わかってくれよ。僕は20歳で、元ひきこもりで、浪人生なんだ。