キィの日記

趣味のお話とか

75 クラフトワークが好きだった吃音持ちの君

 僕が高校を辞めたその日、手続きを終えて職員室から去っていく僕を呼び止めた君はクラフトワークが好きな吃音持ちの少年だった。その時の僕は、誰にも触れられたくなかったので、俺に触れるな!とかなんとか、よくわからないキレ方をして、僕は君を振り切ったはずだ。

 4月、2年生に上がった僕らはクラス替えで出会った。君は吃音持ちで、発達障害を思わせるような天然持ちで、他者に対して殆ど無防備だったから、てっきりクラスで孤立するものだと思っていた。だから僕は、それは大変憐れなことと思って、ノブレス・オブリージュ的高潔な精神の下に、君のクラフトワークに関する話をただ黙って聞いていたものだった。クラフトワークを、名前だけとはいえ知っているような教養深い人間は、クラスに僕だけだったろうから。でも僕は、決してクラフトワークについて学ぼうとは思わなかった。だって、学んだところで、長年蓄積された君のクラフトワーク世界の前では、まるで大人と子供だろう?それが悔しくて、僕はただ聞いていたんだ。聞いてさえいれば、君は勝手に喋り続けるから。正直ウザかったけれど、僕は取り敢えず「孤立してない」という属性を曲がりなりにも手に入れることが出来るのだし、それでよかった。

 それでも、負けず嫌いの僕だから、時に僕の話を君にすることもあったね。僕は当時ハマっていた松田優作の話を君にしたね。君は映画にも大変明るかったけれども、松田優作のことはよく知らなかったね。その頃の僕は、自室で一人の時、部屋でブツブツと『野獣死すべし』の松田優作のモノマネをするのが大好きだった。リップヴァンウィンクルのくだりも、わかるか?のくだりもだ。僕が松田優作についてひとしきり話し終えた後で、君は失礼の無いように「そういうのもあるんだ!今度見てみるよ!」なんて返したけれど、そういう時のオタクは後で見たりなんかしないものだ。だって、本当に引っかかりがあったのならば、自分の引き出しから類似物を取り出してそれについて語り出すからねぇ。でも僕は嬉しかった。僕が上辺だけ興味ありげにクラフトワークの話を聞いているこの気持ちを、君に体験させることが出来たんだからねぇ。

 

 数ヶ月ほど過ぎるうちに、君はクラスに打ち解けていった。僕のクラスは、担任も、生徒も、素直で優しく純真な者ばかりだったように思う。君の無防備さは、そういう人間の前では有効に働くようだね。そして、自称進学校だった僕の学校では、明日の宿題をどうするかという事が何よりも大事だった。数学が得意だった君は、クラフトワーク以外の引き出しをコミュニケーションに持つことが出来た。

 僕はバカみたいに多い宿題が嫌だったし、それを課さざるを得ない担任の苦痛な表情も気に入らなかったから、殆ど放棄していた。だから、「それをやる」共同体から孤立していた。かといって少数いた「やらない」共同体と仲良くする事も出来なかった。僕は元々他人に対して上手に壁を構築し付き合うという事が出来なくて、0か100かの人付き合いしか出来ない子供だったから。

 僕と同じ座標にいるはずの、クラフトワーク・キモ・オタクの君が、休み時間は数学の問題の件でクラスメイトに囲まれている。君は彼らの前では学校の話しかしなかった。クラフトワークの話は一度もしなかった。君が彼らの前で出来ることは、前の時間の数学の問題について彼らに指南することと、発達障害めいた天然発言で無意識のうちに場を和ませることだけだ。君の天然を受け止めたクラスメイトの笑い声は、決して侮蔑的ではなくて、君も周囲も心底楽しそうだったねぇ。僕だけがきっと、「クラフトワークが好きな君」を知っていた。君を取り囲むツマラナイ男も女もそれを知らないのだ。君のクラフトワークの周波数がどこにあるのか、それを知っている僕だけが君の「そこ」へアクセス出来る。僕はクラフトワークのことなんて、その名前と、気まぐれで聴いてなんとなく好きだったTEEぐらいしか知らない。それでも、どんな周波数にチューニングをすれば、君からクラフトワークの話を聞き出せるのか、それについてよく知っていたんだ。死ぬほどウザったい、吃音混じりの退屈なクラフトワークの話を。

 僕が君の制止を振り切って高校を辞めたあの日。弘南鉄道の駅は吹雪で埋まっていた。弘南鉄道の駅にTEEなんか止まらない。止まるのは整理券で乗れるワンマン運転7000系

 

 

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