キィの日記

趣味のお話とか

江波光則『我もまたアルカディアにあり』 感想

 天国は見つかったか。

 

我もまたアルカディアにあり (ハヤカワ文庫JA)

我もまたアルカディアにあり (ハヤカワ文庫JA)

 

 

 人の一生は何のためにあるのか。その解答の中で最もポピュラーなものの一つは「天国の探求」ではないだろうか。
 宗教を例に取る。西アジア諸国で信仰された天国とは「ここではないどこか」であった。キリスト教においては遠い将来やってくる「神の国」であるし、仏教においては「輪廻からの解脱」である。いずれにせよ地上と縁切りすることがゴールに設定されている。これは気候や土地が人間にとって過酷な座標に住む民族が求めた天国だ。
 一方の中国を始めとする東北アジア諸国ではどうか。ここでは主に儒教が信仰される。儒教にとっての天国とは、この地上である。儒教においては死してもまたいつかこの地上へ生まれ変わる事が至上の喜びとされる。これは先に上げた西アジア諸国よりも東北アジア諸国が比較的住みやすいことに起因するのではないかと考察される。

 

 地上の楽園「アルカディアマンション」。アルカディア=理想郷と名付けられた巨大シェルターには殆ど全ての日本国民が生活保護受給者として住んでいる。そこでは何もせずとも衣食住が保証され、何をするも自由だ。絵を描いてもいいし、物語を書いてもいいし、望むなら肉体労働も用意されている。

 しかし、マンションの外は放射能や有毒ガスに侵され、誰も生身で外に出ることは叶わない。人々はこの理想郷に生まれ、育ち、子を成して、老いて死んでいく。
 この地上の楽園の中で、人々は一体どんな天国を発見するだろうか。
 
 本作はハクスリーの『すばらしい新世界』に類するディストピアものであり、同時に核戦争で崩壊した世界を歩くポストアポカリプスものでもある。短編連作でそれぞれ違う人物にクローズアップするというスタイルを取っているため、ハクスリーのそれよりもより様々なキャラクターにぐっと寄り添った内容になっている。

 故に「人間にとって天国とは?」という問いよりも「個々人にとって天国とは?」という問いの方が大事にされている。

 ディストピアなマンションと、ポストアポカリプスな荒野をのんびり散歩出来る物語だ。

 

「……俺はアホなりに色々考えたよ、親父」

 空港でそう言った。親父は偽造パスポートの癖にファーストクラスのラウンジにいた。

 偽造だと知ったのは随分後だったが。

「天国とか理想郷とかって、このラウンジみたいなもんだろ、要するに」
 フライトを待つまで時間を過ごすこの空間がきっとその縮小版なのだろうと思った。暖かすぎず涼しすぎず、混雑もなく、落ち着いた音楽が微かに流れ耳障りにもならず、酒も食い物も飲み食いし放題で、何と風呂にまで入れる。
 何のことはない、国際空港のここに、現世に、もう理想郷は存在する。
(中略)
「ここに住みたいと思うか、アル・ジャンナ」
「住みたくはねえな、こんなとこ。たまに来るならいい」
「もし仮に、ここに住め、と言われたらどうする?」
 しばらく俺はぼんやりと、ラウンジを眺めていた。身なりのいい雑多な連中は、外国人が目立った。親父からしてそうなのだが。
「……ここから自分じゃ出ていけない、として?」
「そうだ、ここで育ちここで家族を作って、そしてここで死ぬ」
「まっぴらだね。それこそガラス叩き破るか火でも点けて、ここをジャハンナムに変えてやるよ、きっと俺は」

 

我もまたアルカディアにあり (ハヤカワ文庫JA)

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すばらしい新世界 (光文社古典新訳文庫)

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