キィの日記

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「世界の終わり」とは何か ~スキーター・デイヴィスのThe End Of The Worldについて~

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Why does the sun go on shining?(なぜ太陽は輝き続けているの?)
Why does the sea rush to shore?(なぜ海は岸を打ち続けているの?)
Don't they know it's the end of the world?(彼らは世界が終わった事を知らないのか?)

 

 この印象的な歌い出しから始まるスキーター・デイヴィスの『The End Of The World』が僕は好きだ。

 この歌の中における「世界の終わり」は「誰か個人に辛いことや悲しい事があって、主観的に世界が終わった状態」を指している。この歌の主人公は何かとてもショッキングな事があって、彼の世界は主観的に終わってしまった。でも世界が終わったのにも関わらずなぜかまだ太陽は輝き続けているし、波も打ち続けている。どうして?というのが冒頭のニュアンスなわけだ。

 しばしば僕たちは何かショッキングな事があった時、「終わった」とか「消えてしまいたい」とか呟くわけで。そんな主観世界の崩壊と、それに構わず進んでいく客観世界の連続性が生むギャップ。その描写に成功したこの歌が僕は大好き。だって言い回しがとっても上手いんだもん。太陽や海に向かって上から目線で「Don't they know it's the end of the world?」なんて言っちゃうあの感じ。あの感じの描写。

 普段、僕らの世界に対する認識は主観世界と客観世界がほぼ完全に一致した状態で進んでいく。その世界において僕らは不老不死であり、全ての行動は「僕らは明日明後日も問題なく生きており、死ぬことは無い」という前提に基づいて決定される。

 その大前提、「僕らは明日明後日も問題なく生きており、死ぬことは無い」という認識にほころびが生じた時、我々は強いショックで身動きが取れなくなる。それはまさに『世界の終わり』と呼ぶにふさわしい。

 例えばラブラブのカップルなんか「我々の愛は永遠である」と完全に信じきっている。だが思いの外、半年持たずに別れたりする。そんな時の彼らの表情を思い浮かべれば『世界の終わり』を理解出来ると思う。

 でもそのカップルが別れたからといって太陽が消えたり、海が枯れたりはしない。勿論僕らの生活にも一切の影響は無い。それは太陽や海や僕らがカップルにとって客観世界に属しているからだ。対してそのカップルの主観世界はまるで隕石の雨でも降ったみたいに、黙示録のように終わっている。

 そういう『主観世界の崩壊と客観世界の連続性によるギャップ』という普遍的認識に血と肉を与える事に成功しているのがこの歌。

 本当に好き。