キィの日記

趣味のお話とか

『及川なずな』という脳内彼女について~打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?考察~

既に鑑賞した人に向けて書きます。

どこまでが現実?どこまでが夢?

 まずこの映画を考察する為には「どこまでが現実で、どこまでが夢なのか?」を考えなければいけません。

 その鍵となるのがタイトルにある「打ち上げ花火」です。

 

 冒頭からずっと典道ら男子連中は「打ち上げ花火は横から見ると丸いのか?平べったいのか?」という議論をしています。当然、打ち上げ花火は球形に広がりますから上下左右どこから見ても丸いのです。しかし典道がifボールを投げた後の世界では平べったい花火が正しいとされていたりします。これらのif世界は全部、典道の妄想だと思われます。

 つまり、本当の現実世界は50メートルで典道が祐介に負けた世界ただ一つ。後はぜーんぶ典道の妄想です。だって打ち上げ花火はどこから見ても丸いもんね。それは冒頭からずっと語られている事です。ベロベロに酔った花火師が「打ち上げ花火は横からだと平たい」と発言しているのは「打ち上げ花火が平たく見えたりする世界は、ベロベロに酔っているような地に足の付かない物」というメタファーでしょう。

結構キモい妄想をする典道

 最初にifボールを投げて以降の全てが典道の妄想だと分かった上で、最初から振り返ってみると結構典道はエグいキモい妄想をしてますね。

 例えば茂下駅でなずなの着替えを典道が待つシーン。なずなは「東京に行ったらお水の仕事して稼ぐから一緒に暮らそ♡」なーんてエッチなドキドキする提案をしてますがこれも典道の妄想なわけで。結構エグいね。

 他にも「安曇君と一緒なんてイヤ!」となずなに言わせてみたり。典道の独占欲の高さが伺えます。

 あの扇情的で美化されたなずなはぜーんぶ典道の妄想なんです。

声優の演技もif世界前後で変わっている

 if世界前後で2人の演技はかなり変わってると僕は思いました。

 例えば1番最初になずなが両親に連れていかれるシーン。かなり意図的に子供っぽい演技をしている気がします。しかしif世界で親に連れ戻されるシーンでは子供の悲鳴というよりは「女性の悲鳴」で演技しているように感じました。(まだ1回しか観てないので検証が必要)

 あと最初はかなり情けなかった典道の声音が、if世界に入ると心なしか逞しく聞こえます。

 これら声優の演技も「典道妄想説」の根拠として強く印象に残りました。

『及川なずな』は『島田典道』の脳内彼女である

 これが僕の結論です。特に関わる事無く消えてしまった好きな女の子とのちょっとエッチで、情熱的な青春ifを妄想してしまう悲しい男子中学生の話だと僕は解釈しました。

 そう考えるとこの映画はカップル向きじゃないですね。むしろモテないダメ男が見るべきだと思います。賢い女性は典道の中で都合良く理想化された「なずな像」に気づいてしまって吐き気すら催すかも。

 典道の欲しかったなずなとの青春は絶対に手に入らないし、ボコボコにしてしまった祐介との仲はギクシャクしてしまうだろうし、結構暗い話ですね……。

ラストをどう解釈するか

ラストシーン。教室で出席をとっている場面です。先生が「典道くん?典道くーん?」と、いない者に対して呼びかけるような声で映画は終わります。ひょっとすると典道が最後の最後でなずなと海中でキスするシーンは典道の単独入水自殺シーンだったのかもしれません。あの場面では打ち上げ花火が円形になり、現実である事が示唆されていますからね。でも典道と一緒にいるなずなは典道の脳内彼女なのだから、典道は1人で海に飛び込んだ事になります。

『親友と仲直り出来ないまま、脳内彼女の妄想して入水自殺した中学生の映画』って……暗すぎるだろ……。この解釈が間違いでありますように。