78 今年読んで面白かったやつら
少女革命ウテナ
本じゃないじゃん!いいだろ!メディアなんだから!メディアは読み物なんだから!
今年最も大きな僕の感情の一つです。ウテナ。
関係性の暴力で重いストレートを顔面にラッシュしてくるアニメ。
これを観てから自分が「関係性」に着目するタイプの読み手だったという事に気づいた。或いは、これを観終わった瞬間から「『今まで関係性に着目して読んでいた』という事にすり替わった」のかも。青い鳥。
イリヤの空、UFOの夏
えっ、今更!?いえいえ、再読です。やっぱりいいなぁ、と思ったので。こういう場合に既読のブックを挙げるのってどうなの?いいだろ!初めて読んだのは中学生の時で、2,3年に一回のペースで読み返してきました。これからは毎年読み返したいです。
今回の再読で特に良かったのは『その3』の『無銭飲食列伝』です。これはマジで良い。女の感情と胃袋の話。
今年は長年行方不明だった秋山瑞人先生がカクヨムにて生存報告をしたことでも話題になりましたね。滝本竜彦とか瀬戸口廉也とかゼロ年代の書き手が次々と生存報告をしてくれて私は嬉しゅうございます。
SWAN SONG
エロゲーじゃん。いいんです。テキストだから。
去年、『電気サーカス』に触れてから瀬戸口廉也(唐辺葉介)の持つ周波数は、僕によく馴染むようだな、と感じていたけれど、その期待を全く裏切らなかった。
最終的な主題はカラマーゾフや遠藤周作の『沈黙』式の「なんで神様は今すぐ助けてくれないねん!ケチ!」みたいな話になっていくわけだけれども、そこに至るまでの過程が本当に丁寧かつ、プリミティブな勢いもあってLOVE。
「分かりあえない他者」を描くために、低機能自閉症の女の子を登場させて、さらに彼女にバラバラに砕け散ったキリスト像を修復させる意味を悟った時、瀬戸口廉也という人のまなざしに感謝と尊敬が溢れ出した。この物語に会えて本当に良かった。
今なら50%オフ。(1月20日まで)
ちょくちょく割引きセールをやっているので優秀なオタクは定期的にチェックするように。
ハーモニー
今更!?これは本当に今更です。今年初めて読みました。
元々ハクスリーの『素晴らしい新世界』が好きなので、フォロワーから「早く読め」と言われていました。
はい、良かったです。
『素晴らしい新世界』と違ってキャラ文芸的文脈を用いて書かれているので、なんだかあたたかみ(炎上ワード)がある感じ。
テーマ的には作中で明示されている通り、『素晴らしい新世界』のリフレイン的側面もあるのだけれど、なんていうか、あたたかみがある……(炎上ワード)。
トァンの一人称で書かれているという点が大きいんでしょうね、やっぱり。あと、『素晴らしい新世界』と違って僕達読者はトァンキァンミァハの少女時代をトァンの一人称を通して知った上でアレを読まされるわけですよね……。
ハァーーーーーーッ。許さねぇ、伊藤計劃。俺にあまり美しいものを読ますな。俺を殺すことになる。生かしもするが……。
我もまたアルカディアにあり
ハーモニーと同じユートピア(ディストピア)小説。この手の「ユートピア転じてディストピア」みたいな物語ってなんて呼べばいいのかしらん?
何不自由無い核シェルターで弛緩した日常を生きる人々の短編集。
良いね……。僕はSF小説としての良さはもちろんあるけど、それを置いて取り敢えずエモさについて語りたい。
放射能汚染された大地を裸でバイクに跨り爆走する女の子が出てくる。以上。
他にも面白いとこいっぱいあるけど、ベスト・オブ・エモエモ大賞なこのシーンだけ紹介しとけばいいだろ。
キリスト教入門
矢内原忠雄のやつ。「キリスト教は人間の力を信じてない」みたいな話がすごく腑に落ちた。ほら、日本人って(炎上ワード)、人間の力を信じているきらいがあるじゃない?科学よりも宗教よりも。人間教みたいなとこがサ。
こういうエモくないエビデンス集めがめんどい話はやめやめ!とにかく、キリスト教がどういう信仰なのかを簡単に知るにはとっても良い本でした。
前述の『SWAN SONG』でキリスト教を扱ってたから、勉強してみよっかなぁという次第で。
今カラマーゾフも読んでるけど、特にこの本に対する信頼は揺らいでないから、多分概ね正しいと思われる。(俺が揺らぎに気づけないバカだったらダメだけどね!そりゃ俺自身にはわからん!)
儒教とは何か
日本人の宗教に関連して。
例えば日本人は無宗教に見えるけれど、かなり「親孝行」みたいな宗教はちゃんと幅を効かせてる。そのルーツは儒教の先祖崇拝にあるんだぜ。だから「親孝行」じゃなくて「先祖孝行』なんだぜ。みたいな話が書いてる。
皆さんも日々感じておられるであろう「日本人の宗教観の欺瞞」からスタートして儒教の解説をしてくれるので、非常にスムーズに儒教の世界に入っていける。
倫理道徳としての儒教よりも、中国の原始宗教を体系化した宗教としての儒教を解説しているので、「儒教は実は宗教なんだぜっ」と友達に自慢できる。
ソラニン
物語で一番大切なのって、物語の後の物語、ポスト物語だと思うんですよね。
僕達の人生には所々でカタルシス的な何かがたまーにあったりするわけだけれども、その後も人生は、世界は、ずっとずっと続いていくわけじゃない?
だから僕は、『幽遊白書』の最後のテキトーな感じとか、大好きなわけです。今思いだそうとしても、よく思い出せない、あの感じが大好きなわけです。
ソラニンってそういう話だったと思うんですよね。この新装版は特に。
去年のやつ。
来年は発売日に買ったのにまだ読んでない滝本竜彦『ライト・ノベル』とか、読み終わらない『カラマーゾフの兄弟』とか、瀬戸口廉也がシナリオ書いてる、来年発売のADV『MUSICA!』とか読みたいです。はい。
77 クジラは沖へ帰るのか
君が苦しんでいる時、君の隣にあるべきは僕のはずだった。
それが、なぜだ?
いつ僕は、君の大切なものを、壊してしまったのだ?
僕は目が悪いんだ。いつか太陽を見ようとして、燃やしてしまったんだ。
僕が走り回って壊してしまったもののうち、一体どれが君の大切なものだったのだろうか。
僕は破片を1つ1つ観察して、君のことを思い出しながら観察して、でも目が悪いから、やっぱりよく分からない。
僕がそれを壊した時、君は何も言わなかった。
だから僕には、一体いつ、どこでそれが壊れてしまったのかも分からない。
或いは、100個あるうちの99個を、既に僕は壊し尽くしていて、君が屋敷の門を閉じてしまったあの日、僕はついに100個目を壊してしまったのだろうか。
どうして何も言ってくれなかった?
僕は目が悪いと、知らなかったのか?
今でも、君の屋敷の門をずっと叩き続けたくなる衝動に駆られる夜がある。
叩き続ければ壊れるかもしれぬと。
100個壊してしまったなら、101個目を壊しても大きな違いはあるまい。
だがこの堅牢な門は、僕の拳をずたずたにしてしまうだろう。
ならば、どうして僕を門の中へ通したりしたのだ?
門の中は、壊れやすいものに満ちていたというのに。
ずっと閉ざしていればよかったんだ。
一度中を見てしまったら、誰だって門の中に焦がれてしまうだろうに。
僕は今まで時々、君の屋敷の門の前で、思い巡らせている。
君が門の中で、幸せにしているだろうか。
でも、時々門の中から、呻き声がする。
僕は聞き逃すまいと、強く強く、門に耳を押し当てる。
でも聞こえてくるのは、呻き声だけだ。
これは、多分、怨嗟の呻き声だ。
世界を恨む、君の呻き声だ。
僕はとても嫌な気持ちになって、門の前でへたりこむ。
君が教えてくれた物語を読むことにする。
君が教えてくれたクジラの物語だ。
陸へ打ち上げられたクジラが、再び沖へ出ていく物語だ。
君もいつか、あのクジラのように、あるべき場所へ辿り着くことを、願う。
この門から聞こえる呻き声が、精算されることを、願う。
君が沖へ出ていった時、この門からは何も聞こえなくなるのだろうか。
この門から何も聞こえなくなった時、君が沖へ出たのか、或いは、打ち上げられたまま陸で死んでしまったのか、僕には全く知ることが出来ない。
だが、同じことだ。
この門から、怨嗟の呻きが止むことを、僕は願う。
どうか僕の追いつけないどこかで、幸せにやっていてください。
僕はこれからもずっと、時々思い出したように、この門の前に立ってしまうだろうから。
76 12月25日、嘘つきは全員燃えて灰になる
なーにが「クリスマスは爆発しろ」だよ。お前たちはそうやって爆発派という徒党を組んで連帯感とか楽しんじゃってるワケ、でしょ?まるで自分たちは不幸で哀れで怒る権利があるみたいにさあ。バカかよ。恋人がいる状況よりもずっとずっと楽なんじゃねえのか?それは。
お前たちのような愚民は目を逸らし続けるだろうが、そういう徒党エンターテイメントほど楽な関係性は無いってことに気付き始めているんじゃないか?
俺様がサーチライトで照らしてやろう。お前たちの浅はかなそのバカバカしい根性を。
照射!照射!照射!照射!照射!
ええ?考えてもみろ。人間の関係性のうち、最も面倒なのは何だ?1対1の関係だろうが。互いに同じ思想を共有している多人数の共同幻想鑑賞会なんて最も楽な関係性だろうが。
一生そこで幸せそうに徒党を組んでいろよ。一生引きこもっていろよ。かつて世界のどこかで恋人達を憎んだ者は一人だった……。ソイツはきっと一人で自分のひとりぼっちだとか、そういうものと格闘していたはずだ。自分と1対1で向き合うということだ。それは最早恋人と逢瀬することと何が違うのだろう?そうして真剣に向き合う限り、ソイツはクリスマスの勝利者だったんだ……。
ところが今のお前たちはどうだ?皆一緒にキモチイイ!ドラッグパーティーでなんとなく楽しくなっちゃってる。みんなで「恋人達」という記号にツバを吐きかけるお遊びに夢中だ。
それは時の権力者が考案した「クリスマスは恋人と!」なるキャンペーンに傾倒している事に等しいだろうが。やがて時の権力者は「クリスマスに恋人達を燃やそう!」というキャンペーンを打つことだろうよ!そしてお前たちは権力と一緒になって「恋人達」を燃やすことだろう!そして、お前たちは火刑場のコンパで仲良くなり、上辺だけの、バカバカしい、膿んだ糞のようなセックスに興じることだろう!
バカが。燃やされるのはお前たちの方だ。
俺様が魔王になって、お前たちのような嘘つきを全員燃やしてあげよう。クリスマスの日、太陽の神から賜りし炎で、お前たちを燃やしてあげよう。そうすれば、みんなみんな灰になって、お前たちは望み通り1つになれることだろうさ。
お前たちはみんな嘘つきだ。本当のことを言わない。自分に本当のことを問うたことが無いからだ。お前たちは本当に……。
ああ、なんて憐れなんだ。お前たちは自分が嘘つきだってことにも気づいちゃいないんだ。
燃えろ燃えろ燃えろ燃えてしまえ。フヒッ、フヒヒ。
俺様は、魔王なんだ。全て人類を導く魔王なんだ。全て人類を裁く大審問官なのだ。バカでも分かる奇蹟で、お前たちは俺様に跪くことだろう。今まさに、お前たちが権力者の起こした奇蹟を信仰しているように。俺様の炎の奇跡によって、お前たちは恐れ慄き跪くことだろう。
そして地上に魔王の王国は完成する。国土が灰で出来た王国だ!
あの日、ノートの片隅に描いたポエムから始まった建国闘争は、ついに完成するのだ。クリスマスの炎で嘘つきを燃やして完成するのだ!
だから、僕達は二人きりで、この王国で暮らすんだよ。二人きりのクリスマスだよ!わかるかい、透子?
透子よ、泣かないでおくれ……泣かないでおくれ……。いずれ僕も灰になるのだから……。
75 クラフトワークが好きだった吃音持ちの君
僕が高校を辞めたその日、手続きを終えて職員室から去っていく僕を呼び止めた君はクラフトワークが好きな吃音持ちの少年だった。その時の僕は、誰にも触れられたくなかったので、俺に触れるな!とかなんとか、よくわからないキレ方をして、僕は君を振り切ったはずだ。
4月、2年生に上がった僕らはクラス替えで出会った。君は吃音持ちで、発達障害を思わせるような天然持ちで、他者に対して殆ど無防備だったから、てっきりクラスで孤立するものだと思っていた。だから僕は、それは大変憐れなことと思って、ノブレス・オブリージュ的高潔な精神の下に、君のクラフトワークに関する話をただ黙って聞いていたものだった。クラフトワークを、名前だけとはいえ知っているような教養深い人間は、クラスに僕だけだったろうから。でも僕は、決してクラフトワークについて学ぼうとは思わなかった。だって、学んだところで、長年蓄積された君のクラフトワーク世界の前では、まるで大人と子供だろう?それが悔しくて、僕はただ聞いていたんだ。聞いてさえいれば、君は勝手に喋り続けるから。正直ウザかったけれど、僕は取り敢えず「孤立してない」という属性を曲がりなりにも手に入れることが出来るのだし、それでよかった。
それでも、負けず嫌いの僕だから、時に僕の話を君にすることもあったね。僕は当時ハマっていた松田優作の話を君にしたね。君は映画にも大変明るかったけれども、松田優作のことはよく知らなかったね。その頃の僕は、自室で一人の時、部屋でブツブツと『野獣死すべし』の松田優作のモノマネをするのが大好きだった。リップヴァンウィンクルのくだりも、わかるか?のくだりもだ。僕が松田優作についてひとしきり話し終えた後で、君は失礼の無いように「そういうのもあるんだ!今度見てみるよ!」なんて返したけれど、そういう時のオタクは後で見たりなんかしないものだ。だって、本当に引っかかりがあったのならば、自分の引き出しから類似物を取り出してそれについて語り出すからねぇ。でも僕は嬉しかった。僕が上辺だけ興味ありげにクラフトワークの話を聞いているこの気持ちを、君に体験させることが出来たんだからねぇ。
数ヶ月ほど過ぎるうちに、君はクラスに打ち解けていった。僕のクラスは、担任も、生徒も、素直で優しく純真な者ばかりだったように思う。君の無防備さは、そういう人間の前では有効に働くようだね。そして、自称進学校だった僕の学校では、明日の宿題をどうするかという事が何よりも大事だった。数学が得意だった君は、クラフトワーク以外の引き出しをコミュニケーションに持つことが出来た。
僕はバカみたいに多い宿題が嫌だったし、それを課さざるを得ない担任の苦痛な表情も気に入らなかったから、殆ど放棄していた。だから、「それをやる」共同体から孤立していた。かといって少数いた「やらない」共同体と仲良くする事も出来なかった。僕は元々他人に対して上手に壁を構築し付き合うという事が出来なくて、0か100かの人付き合いしか出来ない子供だったから。
僕と同じ座標にいるはずの、クラフトワーク・キモ・オタクの君が、休み時間は数学の問題の件でクラスメイトに囲まれている。君は彼らの前では学校の話しかしなかった。クラフトワークの話は一度もしなかった。君が彼らの前で出来ることは、前の時間の数学の問題について彼らに指南することと、発達障害めいた天然発言で無意識のうちに場を和ませることだけだ。君の天然を受け止めたクラスメイトの笑い声は、決して侮蔑的ではなくて、君も周囲も心底楽しそうだったねぇ。僕だけがきっと、「クラフトワークが好きな君」を知っていた。君を取り囲むツマラナイ男も女もそれを知らないのだ。君のクラフトワークの周波数がどこにあるのか、それを知っている僕だけが君の「そこ」へアクセス出来る。僕はクラフトワークのことなんて、その名前と、気まぐれで聴いてなんとなく好きだったTEEぐらいしか知らない。それでも、どんな周波数にチューニングをすれば、君からクラフトワークの話を聞き出せるのか、それについてよく知っていたんだ。死ぬほどウザったい、吃音混じりの退屈なクラフトワークの話を。
僕が君の制止を振り切って高校を辞めたあの日。弘南鉄道の駅は吹雪で埋まっていた。弘南鉄道の駅にTEEなんか止まらない。止まるのは整理券で乗れるワンマン運転の7000系。
74 「セックスしたいアイマスのアイドル」みたいなユーモア
すげーキモい。やってる本人も分かってるんだろうけど。一番嫌なのは自分がそういうユーモアに同意してしまうところがあるってとこ。
そりゃアイドルだって人間だから、そういう事と無縁じゃないんだろうけれど。そういう事に興味を持たないアイドルもいるだろうけれど、半分くらいは誰かとセックスするのだろう。なんだか、寂しいような、そういう気持ちになるだろう。
「セックスしたいアイマスのアイドル」みたいなユーモアは、そういう類の痛みを僕に残していく。セックスが穢らわしいとか、そういう話ではなくて。どこか遠く遠くの彼岸へ行ってしまうような。いや、元から此岸にアイドルはいないのだけれど。感覚として、さらに僕との距離が開いて、果ては僕の視界から永遠に消えてしまうような、そういうものがある。
では、極端に距離が僕と近い場合はどうだ。例えば、アイマスのエロ同人でシコる時、僕は時として竿役に自己を投影するけれど、この場合ではどうだろう。僕の目の前に裸のアイドルがいて、肉体を密着させているのだから、僕とアイドルの距離は一見最も近いように見える。でも、やはり僕からアイドルは離れていくと思う。此岸に女として召喚されたアイドルはもうアイドルではないから。僕の目の前、セックスをするために立っているアイマスのアイドルはもうアイドルじゃないと思う。
だから、アイドルにはアイドルでいてほしい。
「セックスしたいアイマスのアイドル」みたいなユーモアは、彼岸にいる彼女らを此岸に引き寄せてしまう。だから、すごく恐ろしいと思う。そのままの場所にいてほしいのだ。年をとらず、ずっとアイドルの座標に留まる事が出来る君たちは、こっち側に来る必要なんかないんだ。
「セックスしたいアイマスのアイドル」みたいなユーモアを目にした時、僕は少なからず性的興奮を得ていて、ある程度の同意もするのだけれど、その度にアイドルへ向かって「こっちへ来ないでくれ」と叫んでいる自分がいる。
73 聖なる盾、拾ったエロ本、ラベル
金曜日はシャワーをしないで眠った。早朝のバイトから帰った後、大学をサボってハースストーンの酒場の喧嘩をひたすらやっていた。いつの間にか夜になっていた。僕は喧嘩をクリアする事が出来ないでいた。聖なる盾を貼りまくる敵がどうしても倒せないのだ。
12時を回ったところで、頭にきたのでパソコンを閉じた。ゲームを辞めると、途端に酷く部屋が冷え込んでいることに気がついた。どうして今まで気づかなかったのだろう。急に体中が不快を訴えてきた。僕は布団に潜った。とても気怠く、シャワーを浴びる気になれなかった。
歯を磨いていないことを思い出した。僕にとって、シャワーを浴びずに寝ることは百歩譲って良しとしても、歯を磨かずに寝ることは酷く恐ろしく、許せないことだ。扉で仕切られた先にあるバスルーム兼キッチンは、僕の部屋以上に冷え込んでいる。それを知っていても尚、僕はキッチンへ行き歯を磨かなくてならなかった。
歯を磨いてから、寝た。
土曜日の朝。8時半。勝手に目が覚める。二度寝する気にもなれないので、スマホでネットサーフィンをする。YouTubeを開くと、違法にアップロードされていた旧ハンターハンターのアニメがおすすめに上がっていたので、誘惑に負けて見る。拾ったエロ本を見つけた奴はヒーローだった、みたいな話が未だ美談として通るのに、アニメを違法視聴するのは絶望的にダサい行いみたいになってて不思議だ。僕はダサいやつだと思われたくないので、こういうダサいことは誰も見てないようなとこで書く。例えば、こことか。あーでも、この一言のためにバズったりするのだろうか。困るなあ、それは。取り敢えず、『拾ったエロ本』文脈をダサいこととして喧伝するところから、始めなくてはいけないよね。違法アップロードのアレコレは。(こういう「倫理問題にちゃんと関心ありますヨ」というアピールをしとく僕の小賢しさよ)
違法にアップロードされたアニメには英語とかスペイン語とか、よくわからない字幕がついてる。僕が見たハンターハンターには英語の字幕がついていた。英語は多少読めるから、「ここはこうやって訳すんだ」なんて楽しみ方が出来るから嬉しい。色んな言葉を読めるようになったら楽しいだろうな、って思う。言語の習得って死ぬほど積み重ねだから僕は大嫌いだけど。
そんなこんなで時計は15時を回り、なんとなく絶望的な気分になる。まだ布団からでていないなァ。違法アップロードでアニメ見ちゃったなァ。中途半端な道徳心があると苦労する。いっそ完全な卑劣漢になってしまえばいいのか。でも人間はそういう極端な存在になれない事を僕は知っている。
正義でも悪でもないし、男でも女でもないし、嘘でも本当でもないし。人間の営みはそんなことばっかり。でも難儀な事に、人はハッキリした記号が無いと不安になってしまう生き物なので、無理矢理ラベルを貼ろうとしてる。よく、自己肯定が低い人が「自分が発達障害じゃなかったら、ただの怠け者になってしまうから病院に行くのが怖い」という話をする。「いや、それはまだ現代医学ではラベル貼り出来てない病気かもしんないよ」って、僕は思うのだけれど。多分、ラベルが無いと自分が自分に言い訳できないし、他人も病名というラベルが無いから「怠け者」のラベルをその人に貼ろうとするんだろうな、って思う。「別にいーじゃん。君が今苦しいのは事実なんだし」って言ってあげたい。
ラベルが完全に消滅した世界も、それはそれで困るんだけどさ。福祉をどう分配したらいいのか分かんないし。国民全員を障害者料金とかでサポートはしてあげられないだろう。じゃあ資源が無限にあったらどうだろう。ラベルが無くても生きていけるのかな。いやでも本質的に人間は名前を付けたがる生き物だから、やっぱりラベルが無いと生きていけないのかな。
最近そういう事を、なんとなく考えてる。
72 入院したい
僕が小学生の頃の話だ。僕の父が網膜剥離で一月だか、二月だか入院したことがある。典型的な仕事人間にとっては、長期間仕事から離れるのは人生で初めての事だったに違いない。
その間、父はひたすら小学生向けの伝記マンガをひたすら読んでいた。母が僕に買い与えたもので、僕も当時よく読んでいた。本田宗一郎、サン・テグジュペリ、ベートーヴェン……古今東西の偉人たちのマンガが、20冊ほど我が家にはあった。
父の書斎には、社会部の新聞記者という職業柄、ノンフィクションの、それも事件に関する本ばかりが並んでいて、偉人の伝記なんて物はそこには無い。彼にとって興味の対象は、専ら現在進行系の日本の社会問題であって、大昔の事や、物語的なものは、あまり勘定に入っていない書斎だった。
そんな父が、偉人の物語に心動かしている様を、僕は見舞いの度に見かけた。本を求めて父の書斎を隅から隅まで荒らし、彼の価値観を大体把握していた僕にとって、それは異様な光景だった。
「これは本当に面白いな。お前も読んだか」
などと話しかけてくるので、「もう全部読んだよ」と返してやる。「それは、すごいなあ」と返ってくる。この時僕は、人間が俗世から離れると、時として何か実りある変化を持たらすらしいという事を学んだのだ。
尾崎放哉は須磨寺で作詞の才能に磨きをかけたのであるし、永山則夫は獄中で『無知の涙』を書いたのだ。やはり俗世から距離を置き、思索にふけるということが、人間に何らかの化学反応を起こすことは間違いない。
俗世間に生きている限り、何かを大量に読み、大量にインプットするという作業は不可能ではなかろうか。
あの嬉しそうな父の顔を思い出すと、そんな絶望がよぎり、僕は入院したくてたまらなくなる。
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71 カラマーゾフ、スラムダンク、カードキャプターさくら、まどか☆マギカ
かったるいので大学は休みにした。というのも最近僕は大学で勉強していることよりも別のことに興味が向いてしまって、まるで手につかないのだ。
それはサークルで書いているシナリオのこともそうなのだけれど、それと同じくらい「なぜキリストは荒野の誘惑において奇蹟を否定したのに、色々な場面で奇蹟を披露しているのか」という問題である。この矛盾に対して『カラマーゾフの兄弟』が挑戦しているらしいので読む。
学校は面倒だがバイトは出る。6時から9時までビルの清掃。毎日同じことの繰り返しだから、仕事中は思索に使えて良い。天職かもしれない。
今日は専ら関係性について考えていた。僕は関係性のオタクだからだ。CCさくらの李小狼を介した木之本桜と大道寺知世の関係性は尊いとか、ガングレイヴのブランドン・ヒートとハリー・マクドゥエルはなんであんなことになってしまったんだとか、ジョナサンとディオはなんであんなことになってしまったんだとか、相葉昴治と尾瀬イクミはなんであんなことになってしまったんだとか、そういうことを考えていた。
そうして関係性についてあれこれ練っているうちに、僕の中にある関係性が強く輝いた。
それはスラムダンクのゴリ、木暮、三井の関係性である。
僕は久しくスラムダンクを読んでいないから、おぼろげな記憶を手繰り寄せて考えていた。ゴリが孤立したのはいつだろう。三井が抜けてからだろうな。三井がいたら、きっと真面目にバスケをするゴリの味方になってくれただろうし。でも三井はいない。どこかへ消えてしまった。そうして互いに孤立していくゴリと三井を、木暮は一部始終全部見ていたんだよな。だからこそ「夢見させるようなことを言うな!」なんだよな。
二項関係も良いが、このような三項関係も非常に良い。このケースでは三人が平等に関わっているが、同じ三項関係であっても、CCさくらの李小狼、木之本桜、大道寺知世の関係はまた違う。
まず、木之本桜と大道寺知世という友人関係が存在し、そこに李小狼が木之本桜と恋愛関係を構築することによって木之本桜を李小狼、大道寺知世でサンドするのである。つまり、李小狼と大道寺知世の間には強い関係性は築かれない。そしてこの三項関係の最大の特徴は、この三項関係は大道寺知世の立場以外では絶対に観測することが出来ない関係性なのだ。李小狼と木之本桜の関係を理解した上で、一方的な恋愛関係の眼差しを大道寺知世は木之本桜に対して向けているのである。しかも李小狼と木之本桜の二人は大道寺知世の気持ちを知らない。だからこの三項関係を観察できるのは大道寺知世ただ一人なのである……。
このような事をバイトの間中ずっと考えていた。
バイトが終わってTwitterを見ると「虚淵玄を紋切り型に鬱と呼ぶな」という趣旨の投稿があったので大いに賛成しヒートアップ。悪いキモ・オタクを発現させ暴れる。
虚淵玄は受難と復活までちゃんと描写するライターだと個人的に思っているので、それを悲劇と称されるのであれば、「あなたは復活を悲劇と捉えるんですね」としか言えない。価値観の相違である。
尤も、僕は虚淵玄について、fate/zeroとまどマギとサンダーボルトファンタジーしか知らないので、あまり大きな事は言えないのだが。僕が物申したいのは虚淵云々よりもむしろ、「受難と復活の物語を語るにあたって、受難のみを取り出し鬱になっている読み手」に対してなのだろう。
悲劇というのは、サウスパークの『カートマン・レクターの鬼畜晩餐会』のような物語を言うのであって、復活がある物語に於いてはその定義に入らないと僕は主張したい。
衛宮切嗣は確かに衛宮士郎を災害から救ったのであるし、鹿目まどかは自分のあるべき場所をみつけたのだし、暁美ほむらも物語開始時からのワガママを劇場版で叶えたのだから、これを悲劇と称するのは彼らに失礼だろう。(サンダーボルトファンタジーに関してはまた違うタイプの脚本だと思っているので触れない)
この話をしていたら、ちょうどフォロワーが劇まどについて言及していたので僕も思いの丈を吐き出す。TV版まどか☆マギカが鹿目まどかというキリストの受難と復活を描いているのは確定的に明らかなので、僕は劇まどを「神に恋した女の子」の物語だと思ってる。それは暁美ほむらが悪魔になったことからも明らかである。神とは誰かが独り占めするものではない。それは作中で美樹さやかが指摘していた通り。キリスト者は隣人愛の為に生きるべきであって、人間としての鹿目まどかが手に入るなら他者はどうなってもいいという暁美ほむらの姿勢はキリスト教の、即ち鹿目まどかの「みんな仲良く幸せに」という姿勢とは相反するものである。だから暁美ほむらは悪魔と称される他なかったのである。はぁ……関係性……。
そんなこんな色々考えていたらお昼になっていたので、お昼寝をする。近くの幼稚園からバカでかい声で『にんじゃりばんばん』を歌う子供たちの声がしてうるせえ。お昼寝しろ。(そもそも平日の真っ昼間にお昼寝している方がおかしいというのは言うまでもない)
お昼寝していたら夜になっていたので、ご飯を食べてお風呂に入ってブログを書く。明日も4時半に起きてバイトへ行く。
69 無限のリヴァイアス 和泉こずえ 尾瀬イクミ
無限のリヴァイアス観終わった。
あのさぁ~~~~~~~~~~~和泉こずえ?お前だよ、お前。ちょっとツラ貸せヨ。えぇ?なんなんだオメーはよォ。
俺はね、許されないと思うよ。
こいつはねぇ、尾瀬イクミっつーメサコン男を利用して気持ちよくなってるとんでもない売女なんだよっ。
この尾瀬イクミっつー男もだな、自分の救世主願望を満たすために和泉こずえを利用してるゲス野郎なんだよっ。
しかも、この男は和泉こずえの中に、かつて自分が恋していた実の姉を見てるクソ野郎なんだよっ。和泉こずえ自身とは全然向き合ってねぇんだよっ。死ねっ。
はぁ~関係性……。
俺は関係性のオタクさ……。
『無限のリヴァイアス』は漂流した宇宙船に子供たちが閉じ込められて云々、という『十五少年漂流記』式の、もっと言えば『蝿の王』式の物語なんだけれど、和泉こずえと尾瀬イクミの関係性は漂流が無くてもどこかで限界を迎えることは火を見るより明らかなんだよなあ!?
はーっ。こわっ。
で、この和泉こずえとかというメサコンたらしのゲロ女は丹下桜の声帯をしてるんだよね。
こわっ。
えっ……?
こわっ。
怖すぎるので、一日中気持ちの悪いオタクスマイルを浮かべていました。
ん?
相手を救世主願望を満たすためだけの道具として見てる……?
相手の中に別の誰かを見て、相手自身を見てない……?
これは……実質ウテナ!?
ごうが~い!ごうが~い!
かしらかしら?ご存知かしら~?